拝啓、M井様
M山さんのことを僕がどう書いたか忘れましたが、彼の死後ずっと感じているのは、僕が誰のことも分からないまま生きているということです。この感覚は彼の突然の死によってもたらせたことかもしれないし、そうでないかもしれないが、はっきりと意識したのは確かです。人の言葉が十年も二十年も経ってようやく分かる、という感覚もこれに似ています。人一倍の煩悩を抱えた凡庸な人間が凡庸な道を歩めなかった理由はここにあるかも知れないと思っています。
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