腰痛
資料館の展示替えで重い物があったわけでもなく、持ち方でも悪かったのか、腰が痛くてよく眠れなかった。寝入る度、夢は見ていたが、覚えているのは最後の夢。どこか遠方のホテルにひとり、高い階層から周りを眺めている。そこは繁華街ではなく、周りが林で、ずっと向こうに街並みが見える。まだ夕食に早かったのでそこまで行って、この町に来たという証にしようと出かける。狭い路地の商店街を歩いている。雑多な店が並んでいるが、私はタオル二枚で包んだ枕を抱えていて、それを万引きしたものと思われそうでびくびくしている。大通りにぶつかると、向かいに玩具店。その店はさっき仲間と訪れて、買いそこなった掘り出し物があったことを思い出す。しかし、大きなワゴン車に遮られる。、二度も三度もハンドルを切り返して車を返そうとするらしい。目の前に初老の男がいて、彼はなにやら地団駄を踏んでいる。どうもそのワゴン車に乗りたいらしいのだが、なかなか止まらないので頭に来ているらしい。こんな短気じさま、家族は難儀だなと思いながら玩具屋は忘れて進むと「ここから先へ行っても言うほど安くないよ、ここはほんとに安いよ」という声。衣類がたくさんあり、確かに安いが良いものではないと判断。ハンガーに掛かった衣類が靴に引っ掛かり足を振って切る。また、引っ掛かり、今度はしゃがんで外す。店の奥に鞄が見えたのでそっちに行くと、繋がれた馬もいる。どれも皮革で悪いものでもなさそうだが、そのひとつボストンバッグを品定めしていると、馬が「このボタンはすぐ外れて実際はあまり役に立たないのですが」という。私は「でも、このポケットは変わってるね。小物を入れるにちょうどいい」と言うと、馬はそれには気付いていなかったらしくすこし感心する。値札を見ると正価4000円のが2700円位になっている。鞄はあるし、要らない物を買って邪魔になるだけかな、と思ったが、馬に勧められるなんてことはめったにないことだし買うことにする。そばの黒い鞄も品定めすると、中にヒデオやカメラが入っている。これも含めて売っているのかどうか、たとえ中古でも鞄の値で買えるなら安いことは安いが、壊れているならゴミになるだけだなどと考えている時目が覚める。馬に勧められても全然驚かなかったのは不思議。バックの長所を馬に教えていい気にさえなっていた。それでも珍しい体験くらいの気持ちはあったようだ。
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