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2010年1月22日 (金)

違和感の在処

 自分のためにはできないことも人のためならできる、たとえば私は自分の家のお手伝いさんががんになった時、それまでどうしてもやめられなかったたばこをやめることができた、と大学に講演に来た遠藤周作が言ったことがある。。僕は無性に不快で、この男は浅いなあと思い、自意識がないなあとも思い、以来彼の作品どころかクリスチャンの作家は一作も読んだことはない。その不快な感じをMOに言うと「それを言うことがね」と即座に反応した。頭がいいとはこういうことだ、と思ったことを覚えている。僕としてはたばこをやめるというどうでもいい個人的なことと他人の生死が量りに掛けることに違和感があったのだと思う。でも、人のために自分の好きな事を絶って願を掛けるのはありがちな、むしろ尊い行為で、ただ、それを例として挙げたことが問題なのだとMOは言うのだ。そんな彼も卒業してすぐ入った会社でごく普通のサラリーマンを全うしているらしい。それを思うと俺もこういうもんかという気がする。彼の通信を得る度そういう思いがよぎる。

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