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2010年3月12日 (金)

神田川の錦鯉

 フォークソング全盛期と最も多感な時期が重なるので、当時の歌には沢山の思い出や言葉にならない雰囲気が何日も煮込んだおでんのように浸みこんでいる。かぐや姫は特に好きなわけではないが、高校の時友達の車の中で散々聴かされた。妹や神田川はやはり名曲だろう。東京に出て三浪した、その二年間は馬場の近くの早稲田予備校に行った。一年目は午前の部、二年目は午後の部。毎週一度のテストだけは欠かさず受けたが授業にはほとんど出ず、もっぱら近くの図書館で勉強していた。駅を下りて飲み屋街を抜け富士短期大学の先に区立図書館があった。その飲み屋街と富士短期大学の間に神田川が流れ橋が掛かっている。かぐや姫の「神田川」を思い出すのは決まって飲み屋街の外れ、川に近い場所にある電話ボックスに差し掛かる時で、これは多分「赤提灯」というやはりかぐや姫の歌の中に「公衆電話の箱の中、膝をー抱えてー泣きーました」という歌詞があるからだと思う。ああ、あの神田川を見ているのか、というのが当時の感慨だったと思う。
 大学に入って好きになった女の子との交際が始まったのが僕の人生の絶頂期とも言える。二人で歩いていて神田川にぶつかると、物悲しい神田川のメロディも鬱々として見た浪人時代の記憶も遠い昔のことのように思えた。その二人で見た神田川にある時、かなり大きな錦鯉が二、三匹かたまって泳いでいたことがあった。コンクリートで作られた、排水のためだけの川、水以外草も石もないからとても目立ったが、誰一人関心を寄せる人はなく、それも不思議な気がした。なぜつかまえないのだろうと。今思えば錦鯉は食べられないし飼っておく池もないということなのだろう。ただこの時のなにか非現実的気分がその幸せな気持ちから来るのか錦鯉からくるのかわからないが、なぜかこのシチュエーションでよく夢にも出てきて、何回も同じ夢を見ると現実に見たのかどうかも分からなくなるという逆転が始まる。今朝もそのことに思い及んで、あの錦鯉に対する違和感は「チャ子ちゃんハーイ」や「ケーキ屋ケンちゃん」の食卓にいつも必ずあるバナナの房に誰も手を付けない、その違和感だと別な意味で落着した。

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