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2010年3月26日 (金)

俯瞰的

 善人もいれば悪人もいると思った方がいいか、善行と悪行があると考えるか、あるいは自分に都合がいい事と悪い事があるだけなのか。
 頭にできものができた私を父は医者のいる下関まで背負って通ったと母がよく言った。下関まで片道10㌔、早足で二時間掛かる。それを聞く度私の中では隣集落との境の坂道を父に負われていく自分の姿が浮かぶのだったが、父に負われた目線で思い出すのでなく、父が私を背負った様子を10mくらい斜め上から俯瞰する映像として思い出すのである。小学校前の事だろうから、私に覚えはなく、母から何度も聞かされるうちに生じた想像が固定化したのだと思う。
 学生の時、ずっと続けた夜警は早寝と遅寝に分かれていて、四時間の仮眠時間に眠らなければ翌日の行動に差し支えるので、なるべく眠るよう努めたが、このバイトのために生活のリズムは恒常的に狂っていて、11時からの早寝に当たるとなかなか眠れなかった。そういう時、当時流行った言葉でいうと幽体離脱を試みる。真っ暗な部屋で布団に入っている自分を先ず上から見る視線を持ち、そのまま自分を残して部屋を出、そのビルを出る。つまり想像の中で空中を遊泳するのだが、これにうまく成功すればいつのまにか眠っているのである。
 自分を俯瞰できれば諦観も達観もできると僕は言いたいのだろうか。そして俯瞰するとは自分を自分で分析することでなくて、なるべく第三者の目で見るということなのだろうか。とういうことは、僕なんかはとても常識的だが変わっている、みたいな感じられ方なのかな。そうすると、なにかうちの犬に似ている気もする。確かに一般的な犬には間違いないが、どうもあほっぽい。まあ、謙遜しているわけでもなく。

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