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2010年3月11日 (木)

いつまでもとは確かにいかない

 私の集落と隣の集落とは河岸段丘で一段違い、その境は斜面になっている。昔、子供の頃その斜面は恰好のスキー場で、その一角に私の家の畑もあったので、雪が少ない時に滑ると、保存のため敢えてそのまま収穫しないでおいたキャベツ、白菜の頭がスキーの板で削られ、その小言を言うのが私の母だったので肩身の狭い思いをした覚えもある。
 私が東京にいるうちに畑の下半分は田んぼになり、やがて減反政策で栗の木が植えられた。栗の木の剪定をよく頼まれたのを今思い出す。栗園と畑の間には死んだ犬の墓が二つある。メリーという犬とジョンという犬。二年前に相次いで死んだ親子の犬は火葬して、その骨壺はまだ父が寝起きする押入れに入ったままかも。出勤の時はこの斜面を削って作った道路を車で通るが、犬を連れて畑仕事を始めている母親の姿をよく見かけた。
 いつまでもこうであればと思ったことがあったが、そうはいかなかったということだ。

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