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2010年5月 4日 (火)

飯豊山行備忘録①

 母が倒れた翌年から農業をやめたので、田植えのない五月の連休は今年で四回目になる。最初の年は直前の鷲ヶ巣山で捻挫して家にいたが、一昨年は飯豊、昨年は吾妻連峰、そして今年はまた飯豊に登った。天候によっては遠方の山も考えたが、天気が良いなら道の混まない近くが良い。前回同様大日杉から登り、今回は二泊、切合と御西の小屋に泊まった。初日は寒さと強風で難儀したが、二日目から晴天、心に描いた以上の景色のなかの山行となった。連休を通じて予報が良かったためか前回より人は多く、ガラガラだと予想して足を延ばした御西の小屋は結局満杯程度にまでなった。ただ、この時期この山に入るのは本当の山好きで、知識と技術、そして経験を持った人ばかり、俗に言う登山客はいないので、マナーも弁えており、そういう人たちの食事、装備を垣間見、話を脇で聞いているのもためになる。
 全く見知らぬ人間、それぞれ相知らない人生を背負ってきた人間が稜線ですれ違い同宿するのは、なにか奇遇で不思議な感じがいつもする。都会の電車、観光地の行列でも同じ訳だが、山では殊更そう思う。
 御西の小屋を出る時、梯子を降りてきた人に声をかけると、昨日水晶峰から大日岳を登ってきた人のひとりだった。今からピストンで本山を往復、それから杁差岳を目ざして縦走、東股を下るという。下りてからの林道歩きが大変ですね、と僕が言うと「いや、林道は歩いていればそのうち着くから」と雪焼けした、人の良さそうな顔を更にくずして笑った。道に迷ったり藪を漕いだりすると登山道の有難さが分かる。いくら長くてもきつくても、登山道なら歩いた分だけ目的地は近づき、歩き続ければいずれ着く。けれども道のない場合は別だ。藪漕ぎも雪山も、今歩く分目的地が近付いているとは限らない。そういうことを含めての言葉だろう。
 長い林道歩きを敬遠していたが、この言葉を聞いて、ちょっと考え方を変えた。来年は梶川か丸森を下りて梅花皮荘まで歩いてもいい。いずれは彼のように東股を下りてもいいなと思えるようになった。(写真は彼が足早に向かった本山。ちょうど本山三角点辺りから日の出)
 

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