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2010年7月 2日 (金)

和田峠

 東京にいたとき、山登りで何度か長野に入ったこともあるし、大学に入って極く親しくなった人が諏訪出身だったので、長野はなにか思い入れのある県になっている。バスの中は暇だろうと持っていった地図を広げていると、蓼科のすぐ下に下諏訪があった。その人が夏休みに蓼科でバイトをしたこと。「名所から有名人は出ないよ」なんて言ったこと(これは出まかせ、もし信じてたらごめん)など思い出す。そしてまた和田峠も近くにあるのに意外な感じを受けた。和田峠は日本では数少ない黒曜石の産地で、旧石器時代の交易範囲の広さを物語る場合に出てくる地名。つまり、産地の限られる黒曜石の石器が物々交換で日本全土に広がっている。関川村にも黒曜石の石器が出ていて、多分ここから一番近い長野の和田峠から伝わってきたのだろうと僕は説明していた(最近の研究では県内でも出ているらしい)。説明しながら僕がイメージしていたのは山川出版の教科書の中で示された概略的な和田峠の位置で、峠という言葉からか長野と群馬の境にあるように考えていた。諏訪を訪ねることはできないが、自分の車で来てたなら和田峠には寄り道したかもしれない。(大学受験では日本史を選択した。高校では使わなかった「山川の教科書」がいいというのでそれを基本に勉強した。結局三年の付き合いになって繰り返し精読するうち、葦編三絶、二冊目も買ったような覚えがある。どうしても早稲田に入りたいという気持ちが強く三浪したわけだが、最後の年は五学部受けた中でも日本史は何問も間違わなかったという記憶がある。しかし大学に入るとすっかり日本史からは遠ざかり、それから15年経った36歳の時、資料館に勤め始めて再び山川の教科書を買った)

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