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2011年4月 3日 (日)

すべての道は隠される

 仕事上の飲み会なら大概茶を飲んでやり過ごすのが慣例なのに、金曜日の歓送迎会ではなぜか沢山飲んだ。5時に目覚ましが鳴って起き出した時はやはり本調子でなくて、今日は後ろからよろよろと迷惑にならない程度について行こうと支度を始めた。今日の担当AKなども、杁差の登山の前日に飲み過ぎ、吐きながら登ったことがあった。わずか1時間半程度の山、どうにでもなると思って、ゆっくり時間を掛けて身支度を調えた。あまり性急に動くと気持ち悪くなりそうだった。それでも胃腸薬が効いたのかウコンのお蔭か、登るにつれ調子は戻り、あまりに早く着いた頂から大里峠まで足を延ばすAKの提案にも同意して、率先して尾根を歩く。農業を生業とする彼は、この山行の後しばらく参加できなくなる。新しく買ったアルミのカンジキは今までのと違い、外れるということがなく快調であった。今年初めて見るマンサクの花も小さな冒険を祝福しているようだった。そして約2時間後に屋根だけ見せてまだ雪に埋もれている峠の祠に到着、昼食にした。ここからは峠の夏道を辿るだけ、楽勝の湖だと思っていたが、実際はここからが二転三転の冒険であった。無雪期はただ目の前の道を辿れば良いが、有雪期はその道すべてが隠される。また、沢沿いの道は雪が多ければ通れず、どうしてもルートファインティングとなる。そして、地図に載っていない沢に惑わされたのも苦労した要因のひとつ。ただ、頭巾でも吾妻でも教えられたことは、おかしいなと思ったら戻ること、確実な地点まで引き返して再検討してみること。道迷いは尾根の分かれる下山時に多く、疲れているから戻ることはいっそう難儀だが、引き返せなくて危険な目に遭うことを何度か経験した。だから迷ったら戻るが鉄則。紆余曲折はあったが、そうしてなんとか道を探し、駐車場に戻ったのが5時半。そして今日、腰も痛く肩も痛く、つらつら地図を見ながら教訓の多い昨日の山行を辿る。私の手を広げて人差し指と中指の間隔は25,000分の1の地図だと約2㌔である。
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