爽快感
足(ふくらはぎ)がつって、薬を飲んだのが四時頃。その時見ていた夢。ステンレスの流し台みたいなのが広い場所(屋外)にひとつあって、男(若くもなく年寄でもないが、私よりは若い)が、水道の水を出しながら屈んでいる。週刊の漫画本(ジャンプトとかチャンピオンだろう)を開いているのだが、その背(本を閉じた部分)にちょっとずつ水をつけながら洗っている。なにかの拍子についた汚れを気にして落とそうとしている。これは妙に(病的に)きれい好きな人間なのだと興味を持った私は、その流し台の反対側にも同じような流し台があるので、そこで手を洗う風を装い、近くで観察しようとすると、なにかプラステックの名札入れのような物が私のせいで彼に引っ掛かってしまい、謝罪する。男が鏡を出したので、こんな潔癖症が自分の顔にどう対処するのか、そのやや荒れた肌などを見て思ったが、鏡を見てもなんをするでもなく、まあまあだという感じで鏡を下ろした。なんに妥協し、なんにしないか、そういうことだと思う。
すぐにまた寝たが、度々目覚めた。仲間大勢と飲み屋に来ていて、そこに戻ろうと狭くて暗い通路を抜けてエレベーターに乗ると、隅に女性が立っている。ボタンはどこも光ってないので私は二階を押そうとするが、ランプは付かず、その動作で彼女もボタンを押してないことに気付いたようで、エレベーターはずっと上の方まで行って、彼女は出ていく。顔は良く見えなかったが、衣装が飲み屋の接待という感じのヒラヒラした物だった。それからエレベーターはまた一階に戻り、さっきの暗く狭い通路を通ると、今のエレベーターは業務用だと分かる。海岸に大きな岩(家一軒分くらいの広さ)がいくつも並んだ、その岩の上が飲み屋になっていて、テーブルもない岩の上に隙間もないくらいぎっしりと客が座っている。私は仲間を探すがもう誰もいない。岩と岩の間を跳んで、帰ろうとするうち、マラソンのような気分になって、下の道路に出た時は走っている。そして風を切って走る爽快感を味わっている。
たとえば、子を失くした親の喪失感は生涯埋められることはないだろうと目覚めて思う。
マラソンではあまり経験のない爽快感を夢ではっきりと味わったのは、昨晩東根の大会の写真が公開されていたからだろう。Yの写真には大変笑わせてもらったが、私のはカメラを意識した真剣な顔で、角を曲がる時に、そのカメラを確かに意識して、敢えて外側を勢いよく走った、その時は確かに風を切る感覚がした。写真を見て、その瞬間のことを思い出したからだろう。
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