ひとつの感慨
久しぶりにバチンコの夢を見たので書いておく。羽根物の平台をやっていて、初めてではない機種で、あれよあれよという間に打ち止めになる。そうしているうちに隣の、既に打ち止めになっていた台が開放となり、中年の婦人が打ち始めたのだが、いつのまにかいなくなって、僕はその台に移る。誰かを見送って戻ると、僕の台のハンドルを握っている者がいて、座席にはちゃんと鞄を置いてあると言うつもりで近付くと「あなたがたった今までやっていて打ち止めにした台も開放になったので、その台をやるのかと思って」みたいなことを言う。僕は少々迷ったが、鞄を置いていた台にして、その男は僕が打ち止めにした台で打ち始める。お互いになかなか羽根を開けないでいたが、僕は打ち止めにして出した玉が三箱あり、隣はお金を入れている。精神的には僕が優位だが、隣には家族の応援があって、そのうちに羽根が開き出すと、みんなで喜んでいる。僕の台は台全体がテレビゲームのような画面になっていて、その中の兵士をハンドル操作で繰り出す迫撃砲で倒せば、羽根が開き始める仕組みなんだろうが、なかなか兵士が強く、象とかも出てくるけれどもいっこう倒せないで玉ばかりが減る。
それでも、この台は開放台だと周りはみんな知っているので、僕がやめるのを待っていると思うとなかなか手放せず、どんどん玉をつぎ込み、はまっていく。このパターンはだれでも経験することだが、不思議なのは、出玉が一定量(換金して六千円から一万円)になると打ち止めになるシステムは昔のことで、パチンコ人生の後半、38才から44才まではどんなに出てもずっと同じ台を続けてやれた。もうひとつ変だったのは、玉を入れる箱は確かに普通の長方形のプラステックのものだったが、足元に置いた大箱が洗濯籠だった。これだと、どうもなあ、という感じ。それにしても,自分がもともとしていた台が出て、自分の台がさっぱり出ず、やめるにやめられなくなる状況とその心理はリアルな再現だった。
目覚めて、あんな嫌な気持ちから離れてもう八年くらいになるのかと思うと、なにかしらの感慨はある。
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