« 関門となるくらいまで | トップページ | ステレオを片付ける »

2011年8月 6日 (土)

まみれたりまみれそうになったり

それは確か2004年の88日、杁差から丸森尾根を下っている途中、我慢の限界を感じた私は同行者が腰を下ろした場所から奥に入ったのだが、そこは指定されたような雉撃ち場所で糞便と紙が散乱していた。そこに踏み込んでいく勇気もなくて、迂回して奥に進むと崖で、おそらく急を告げる私の内実は下痢便であろうから、崖に尻を向けて放出したなら、却ってはね返りもなく壮快でさえあろうと思い、少々不安ではあったが草を幾株もまとめるように掴んで仕事に掛かった。ところが、なんの拍子かわずかバランスを崩し、草を掴んだ手に力が入ると、あっけなく草は根こそぎ抜けてきて、すんでのところでけつを出したまま滑落するところであった。崖の土の層は浅く、草の根もまた深くは張れないと後で思ったが、自らの糞にまみれて落ちていって、その仔細は公にはならないかもしれないが、あそこで終わっていたら悲しいような一生であった。これがまみれそうになった話。

それは確か20051011日、朝から雨となった飯豊本山を大日杉に向かって下りていた時、なにか忘れ物でもしたような、納得できない心持になっていたのは、たった今あとにした霧の中の錦の紅葉、御坪の景色に後ろ髪を引かれていたからでなく、いずれかの適地を速やかに見つけて排便しないといけないという要件を抱えていたからである。けれども地蔵岳に続く山道の周りはずっと深い笹藪、そこに分け入ることが困難なうえに、しゃがむだけの場所作りも容易ではなかろう。それで我慢に我慢を重ねて、ようやく低木となったので先行者に用向きを伝えて藪に入った。木の下は笹藪であったが、丈も低く密でもない。それを念入りに踏み倒して、場所を作り仕事に掛かったのだ。けれどどうだろう。踏み倒したはずの笹はすぐ起き上がってきて私の尻を叩くのだ。排出する便は当然下痢便で、笹を抑える重さもまとまりもないうえに、笹の葉や枝に付着した状態で私の尻にペタペタと当たる。私もすぐ事態を察知して排便のスタイルのままじりじりと前進してその糞便付き笹攻撃から免れようとしたのだか、足で踏んでいたはずの笹も起き上がってきては加担するので、エンドレスにペタペタと叩かれる。尻じゅう糞まみれになった顛末である。
 私は今年MIZOの雉撃ち用スコップを買った。ケースを入れても30g。これで穴を掘って排便し埋めるのである。まだ使用する機会はないが、ザックの後ろにお守りのようにぶら下げている。未使用のうちは同行者にスプーン代わりに貸しても良いと思っている。

|

« 関門となるくらいまで | トップページ | ステレオを片付ける »

雲の湧く稜線に」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: まみれたりまみれそうになったり:

« 関門となるくらいまで | トップページ | ステレオを片付ける »