関門となるくらいまで
トイレの汚さに花に酔いしれた興も覚めようというものだが、これは白山に限ったことでもない。これが現実、これが山、これが人間そのもの。嫌なら来るな、それだけのことだ。僕なんかはと何度も書いたけれど、山に入れば極力大便はしない。それだけの覚悟を持って山入りする。万が一もよおしても山小屋のトイレなんかは使わないのだ。それがために糞まみれになりそうになったり、実際なったりもしたが、そういうものだと観念している。屈託にまみれた男にも食欲はあり、化粧厚き美女も排泄はする。まあ、人間という括りでは、大差なく、排泄する場所のどうのこうのは、啓介的に言えば「屁をふったような話」。ああむしろ、すべての山の厠は蛆と蠅と糞にまみれて、訪れる人を選べば良い。
| 固定リンク
「雲の湧く稜線に」カテゴリの記事
- 鳥海山鳥海湖(2020.06.22)
- 六月の光兎は(下見と公民館登山6/6と)(2020.06.14)
- 日本平山 4/25(2020.04.29)
- 残雪の葡萄鼻(2020.03.31)
- 3/15 光兎山 (2020.03.17)
コメント