全ては
すべてに因果を求める考え方もある。たとえば「なんの罪か業か、磔刑」、あるいは「この大雪も私のせい」。運命だと片付ける方法もある。可愛い盛りの子を残して40歳で病死すれば、その命しか貰ってこなかったと。いずれもどこかで投げ出している。それの早いか遅いか。不合理なものとの折り合いの付け方。運不運はどうしたってあるから。それを処世術と云ってもいい。
新聞を持って二階の階段を上がっている時、ふと、まだベッドで寝ているはずだと気付く。夢の中で、夢だと悟る。
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