蕨取り
「長坂で蕨を取ってだった」と母は言う。
この集落があるのは女川が作った河岸段丘の三段目だろうか。この上にあるのが若山。その若山から新堀用水に架かる小さな粗末な橋を越えて山に中に入る道が昔からある。軽トラなんかはない、耕運機に荷台を付けたのが主流の時代、もう四十年以上も前のことだけれど、その耕運機の荷台に乗って、林の中のでこでこの道を揺られながら行った奥に広い開墾地があって、水が引けないので水田にはできなかったのだろう、果樹園、主に洋梨を作っていた。手が掛かる割には金にならない洋梨のあとは桐の木を植えたか、杉の木だったか、はっきりとした記憶はないが、今はどうなっているのだろう。暇な人間だから雪が溶けたら行ってみよう。そのミノワに行く道と別れて右の山に入るのが長坂。ここには死んだ祖母とよく蕨取りに行った。急な斜面を蛇行して細い道があり、その上にやはり開墾された畑地があった。取った蕨は祖母が僕の分を別にして漬けて売ってくれた。ここにも今年は行ってみよう。
母も長坂に蕨取りに行ったのか。行ったから夢で見るのだろう。熱は下がったり上がったり、今朝は36.4°まで下がったが、帰ってきたら37°以上あると言う。体温計を母の脇に差し込んで夕食を取っていたら37.4°あると体温計を父が見せに来た。買ってきた肉まんも口にしたので、心配するほどでもないと思うが。
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