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2012年2月25日 (土)

夭逝

 25歳で死んだ若者の死を思うにつけ、人生をどういう意味でも全うできる者の義務とは何だろうと思う。不平を言うな、不平を言うくらいの余裕があったら少しでもやりたいことに力を注げ、かもしれない。そう言えばと、昔のことを思い出した。ここに32で戻った翌年、新潟の塾に勤めたが、そこは高校受験に失敗した子供たち、高校浪人の予備校でもあった。彼等は週五日普通の学校のように弁当持ちで授業を受ける。ひとクラス50人で4クラス位あったと思う。僕は成績の良いクラス二つを受け持っていた。ただ、夏休みになると普段よりも遠い地域から夏期講習に大勢の中学三年が集まるので、この4クラスのためだけの授業はなくなり、彼等はあちこちの教室に分散されて夏季講習のクラスに入る。そこでいつもは教えていないクラスの浪人生を教えた。風紀担当の先生に目を付けられていた生徒、つまりツッパリで、入学当初は髪も赤く染めていた。その先生とぶつかった話は自然に耳に入ってくるので、直接教えたことはないが知っていた。その講習で見た限りは、意外と無口で、可笑しければ素直に笑うような、普通の子に見えた。講習の最後の日、後ろの席の浪人生たち一人ずつになにか感想のようなものを聞いたことがあって、その生徒がちょっと恥ずかしげに「安久先生の授業が受けられて良かったです」と言った。もちろんそう言われて嬉しかったが、この生徒の豊かな感受性も思った。けれども彼は2学期の授業が始まってすぐ、バイク事故で死んだ。バイクの後ろに乗っていて、そのバイクが路駐していたトラックにぶつかったと聞いた。若い人間には色々の可能性がある。潰えないうちに潰えてしまうのは残酷だという気がする。生きていれば36歳。どんな死もどんな風に処理してよいか分からない。だから背負っていくのが生きる者。

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