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2012年6月27日 (水)

幸せの延びしろ

 これも以前書いた事だが、また思い出したので書いてみる。中学の時、村上に行こうという話になって、その四五人の輪の中に僕もいて、多分自分だけ行かないという決断もできず、行きたい気持ちもあったのだろう、行くことになった。放課後のことだが平日ではない。平日ならバスで往復する時間はないし、大体バスがそんなに走ってない。土曜日か、夏休みの部活の後だろうけど、鞄に入れたまま出し忘れていた学習雑誌の代金を使ってバス代にしたのだから夏休みということはない。それでみんな一旦家に戻ってから、午後のバスに最寄りの駅から乗ることになった。午前と午後、二三本しかないバスだから、乗り遅れることはあっても、別のバスに乗ることはない。家に帰っても村上に行くから金をくれとは言えなくて、その雑誌、多分「中三時代」とかいう本の代金を袋から出して持っていった。どうも理解できないのはこのいきあたりばったりの行動で、後で困ると分かり切っているのに、どうしてこんなことをしたのだろう。どうしても行きたくて、後からどうにかごまかせると思ったのだろうか。それで村上に行って、今は寂れてみる影もないけど当時は一番賑やかな商店街の、三階建てのショッピングセンターみたいなところに入った記憶がある。多分五百円くらいしか持っていなかったのだろう、バス代往復を払えばいくらも残らないから何が買えるはずもない。だから、あちこち見て回る気持ちは端から無くて、結局階段の踊り場に置かれていた自動販売機で紙袋を買った事は鮮明に覚えている。構造は思い出せないが、小銭を入れて束になった紙袋の一枚を自分で引き上げて取るような機械だった。その中に持ってきた道具、なにを持っていったのか忘れたし、持っていく物も必要ないはずだが、確かにその袋の中に持っていた物を入れて、それでなにか買ったような恰好にしたのである。でも、やはり不思議なのは、なんで何も買えないと分かっていながら村上に行ったのだろう。約束したからとかいうほどの約束でないし、僕がそのバスに乗らなかったからといって支障があるわけでもないだろう。単にみんなと一緒に村上に行きたかったのだろうか。
 帰りは最終バスで、多分暗くなって、親には雑誌代を使ったことも言わざるを得なくなって、ひどく叱られた。小さい時の自分の心理は今と同じだと思う時もあるし、全然理解できない場合もあるが、よくよく状況を思い出していくとなんとなく分かる気もする。
 幸せの延びしろというのは、あんまり変わらなかったというくらいの意味だ。本当のところ、昔も今も。いろんな希望や不安を抱え、周りに気を使いながら生きている。
 

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