彼のお蔭
八月の事故からまだひと月で、まだそんなものか、ずいぶん経ったような気がするのにと。「昨日の事のように」思うのはむしろずっと以前の記憶で、そしてあまり思い出さないこと。亡骸さえ見たが、彼の死にはいまだリアリティがない。心の中に収まる所がない。それでも、彼の代わりを私がやったり、代わりの講師を見つけたりして、時間は進む。
晴れたのは彼のお蔭だとМさんは何度も言っていた。予報は曇りで雨も覚悟していたから。そしてずっとガスの中だったのが、不意に雲海の上に出て視界が広がった。
Y会長はここ数年、千m以上の山を敬遠し、細い尾根がある場所もだめだと言っていた。体力の衰えと目の病からくるバランスの悪さを自覚していたようだ。だから今年も角田とか五頭とか猫魔ヶ岳とか、そんな山にしか来なかった。同様の選択で参加するのはМさんで、だから角田と、彼との最後の山行になった猫魔ヶ岳も一緒だった。角田も晴れた。猫魔も晴れた。そしてここも晴れた。(地蔵に登った時はガス。周りが見えなかったからМさんも登る気になったのかもしれない)
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