東京での山行②82北岳
二度目の登山は一年置いて82年夏の北岳。Sさんはちょくちょく登っていたのかもしれないが、僕には二度目の登山が富士山に次いで二番目に高い山で、コースも北岳、間ノ岳、農鳥岳を縦走する、手元のガイドブックだと上級者コースになっている。時間があって、無鉄砲で、体力もあ
ったからのことだろう。
①中央線の甲府か韮崎からバスで広河原。初日のテント場ここ、吊橋の写真も何枚かあった。雪渓を登っている写真。岩場の写真が八本歯のコルから先だとネットで分かった。八本歯のコルのルートを通ったようだ。分岐で荷物を置き、北岳山頂まで往復し、北岳山荘のキャンプ場へ。ニッカポッカは誰かから借りた覚えがある。ニッカポッカを履いた山行はこれが最初で最後。ザックには見覚えがない。これも借り物かも。重登山靴を買ったらしい。その後、この靴を主に履いたようだが、常念、槍、穂高と縦走した時は安っぽい軽登山靴を履いている。長期山行ではさすがにこたえると思っていたようだ。今履いている靴は大体800g前後だ。倍くらいは違うだろうと量ってみたら1200g、約1.5倍。思っていたほど重くはなかったが、帰ってきてからは一度もこの登山靴を履いていない。
②三日は雨風、おまけに一番行程が長い。間ノ岳、農鳥岳と通って奈良田に下るのはコースタイムで11時間弱。下山時かなりバテて、休もうと言った所で休まなかったのが癪に障った僕は、以降自分から休もうと言わないことにした。そんなつまらないことをいつまでも忘れないでいる。合羽は1ランクアップしたようだけれど、粗末に変わりはない。
③奈良田の多分民宿で泊まって、バスに乗り、身延線まで行ったのだと思う。地図で調べると「内船」という駅はやはり身延線の静岡よりにあった。東海道本線で帰ってくる途中、気紛れに熱海で途中下車して泳いだ。Sさんは水産大生だから泳ぎに自信はあったのだろう、遊泳禁止の目印のブイまで泳ごうと言う。僕は女川や女川小学校のプール、高校の時は笹川流れの海で鍛えてはいたが、山行の疲れというものがある。すんでところで溺れそうになりながら、なんとかブイに辿りつき、戻りは悲壮に覚悟で泳ぎ始めた。きっと山行より疲れた。
この年、つまり大学三年目に僕は文学系サークル二つと映画愛好会、テニス同好会の計四つのサークルに入った。テニスは一日で止め、映画は一年くらい、文学はずっとで、このサークルで会った人たちがその後の僕に少なくない影響を与えた。同じ夏、同じ熱海の海岸に映画サークルの合宿で来ることになったのだが、僕は先達者の気分で「貴君らも青春を謳歌するつもりならあの遊泳禁止を定めたブイまで行くぞ」みたいなことを言ってしまって、誰も続くものがなかったが、言った手前行かざるを得なくなって、やはり必死の思いでひとり往復した。運が悪ければこの夏僕は二度死んだのだ。
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