東京での山行①80雲取
なぜSさんが山に登ろうと思ったのかは忘れた。言わなかったかもしれないし聞かなかったのかもしれない。私が三浪して大学に入った翌年、1980年の秋、雲取山に登ったのがその最初である。奥多摩から入って秩父の方に下りた記憶を写真と地図で辿ってみた。ジーパンに運動靴、ハイキング用のリュックの上に、入りきらなかった寝袋とダウンジャケットを括りつけている。途中で着た雨具も透明なビニールの物、初めての登山らしい恰好だ。山頂の避難小屋では遅くやってきたグループがうるさくてなかなか眠れなかったことを覚えている。雲取山は東京都の最高峰、東京と山梨と埼玉に跨る2,017mの山、深田久弥の日本百名山の一つである。
①奥多摩側の登山口は鴨沢という地名らしい。ネットで見ると同じような写真が出ていた。町と違い、山の道は変わらないようだ。この後「七ツ石小屋」や「白岩山」も標識も出てくるからこのコースを通ったことに間違いないようだ。
②運動靴にジーパン、今の山でこんな恰好の人はまずいない。
④三峰という名に覚えがある。埼玉県の秩父。このロープウェイに乗ったかどうか覚えていないが多分乗らなかっただろう。今は動いていないそうだ。ここから秩父線に乗り、東武東上線に乗り継いで帰ってきたと思われる。「三峰口」や「寄居」の駅名を入れた写真もある。当時は和光市に住んでいた。
アルバムには山以外の写真が多く、見てしまうと寝付きが悪くなるし、夢で覚めてしまうので、めったなことでは隣の部屋においてあるアルバムは開かない。昔の山行の写真は、ネガからスキャンしてパソコンに入れてあるので、それを見れば足りると思っていたが、槍ケ岳の山行計画を立てる段階で、二十年数年前通ったコースと今回の計画で重なる、槍ケ岳から南岳の写真を見ていたら、なにか枚数が少ないような気がして、アルバムを開いてみた。やはりアルバムの方が写真の数が多い。パソコンに無い写真がある。それで、東京から帰る際、ネガを捨てたことを思い出した。どういう心境だったのか良くは思い出せないが、写真があるからいいと思ったような気もするし、焼き増しすることなんてないと思ったような気もする。スキャンしたのはたまたま残っていたネガだけのようで、最初の登山、雲取山のネガは残っていない。
お盆前の週末、墓掃除も終わって、寝るより良いだろうと、アルバムに残っている写真をスキャンした。大学に入った年の夏休み、バイトで得た金で廉価な一眼レフカメラを買った。すべての山行はそのカメラでSさんと僕が交互に撮ったものである。
Sさんと続けた年一度か二度の山行を思い出すことがある。例えば北アルプスの計画を立てていて、あの時はどこから登ってどこを通り、どこに下りたのかと。でも記憶は限られていて曖昧なままだった。
東京時代の遺物は本と写真だけかもしれない。几帳面とは決して言えない僕がアルバムに写真をきちっと貼ったのは不思議だけれど、山行の記録として唯一残った写真を頼りに、せめてどこから登ってどこに下りたかを調べてみよう。
追伸 「フトンチッド」という言葉を聞くと、奥多摩から続く登山道を思い出す。檜林の中に続く道だったような気がするが、定かでない。でも、「フトンチッド」はなぜかうっすらとしか覚えていないここの道を連想させる。
※最初、大学に入った年、79年としたが、リュックに括りつけていたダウンジャケット、あれは新宿で買ったものだと思い出した。いくら安くなっていたとしても浪人で買える値段でなく、おそらく大学最初の冬に買ったものだろう。新宿は六年間夜警のバイトをした場所だ。
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