東京での山行⑤甲武信ヶ岳1984年
何年のことなのか本当は不確かな山行の中で、甲武信ヶ岳に登った年だけははっきりしている。写真に印刷されているからだ。1984年、大学の6年目、7年いたからあと1年半で卒業という頃だ。いろんなことが僕を厭世的にもしたし希望も抱かせたけれど、つまりは能天気な人間であっただろうことに間違いはない。
この山行で覚えていることもまた少ない。樹林帯のキャンプ場で幕営したこと。そのテント場にいた学生の登山部の連中の、大きな鍋で煮炊きする様の、大袈裟なのに違和感を覚えたこと。下りていったのが長野県で、多分バスに乗って小海線に乗り換えたと思われるが(今地図で見ると「しなのかわかみ駅」辺りで電車の乗ったのだろう)、乗ってしばらくすると「きよさと」の駅に着き、そのホームに溢れるほどの若い女性がいたこと。どっと乗りこんできたその女性たちで池袋の朝の山の手線みたいになって、とても窮屈な思いをしたことだ。
甲武信ヶ岳はその名のとおり山梨と埼玉と長野の県境の山で、深田久弥の百名山に入っている。でもSさんがこの山を選んだのはやはり電車の便が一番だったろう。Sさんは大変な読書家で、絵を描くか本を読むか、テレビがないからそうするしかないのだろうけど、キルケゴールを愛読し、古本屋から買ってきた「山渓」と「岳人」は葦編三絶するほど読み込んでいた。多分その中に西沢渓谷からの甲武信ヶ岳みたいなコースが紹介されていたのだろう。
①塩山駅から西沢渓谷までバスで一時間、初日は例によって川原に泊まったようだ。
バス停の名前が「梓山下」と読める。地図で調べると「梓山」という地名が長野県側の麓にあった。
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