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2013年12月15日 (日)

東京での山行⑧白馬岳1/4

東京での最後の山行、白馬岳のことは20097月にブログに書いた。蓮華温泉から白馬に行く計画に先だって書いたものだが、その計画は強い雨と風で断念、蓮華温泉に入って、雨飾登山に変更となった。その時の文章は下記の通りだ。
 
「今週末天気が良ければ白馬に行く。この山には(調べて分かったのだが)二十代最後の夏Sさんと行ったことがあり、どういうルートを辿ったのかと、スキャンしておいたフィルムを見たらテントを三か所で張っていた。つまり三泊四日の山行だったらしい。写真にはっきり地名が写っているのは白馬大池、三国境、白馬岳、雪倉岳、朝日岳、風吹大池、北小谷駅。登山口は分からないが、白馬大池の方から白馬に登り、雪倉、朝日と足を伸ばし、北小谷に下ったのかと推測した。けれど、ひとつ記憶があって、それは下山した駅が新潟だったということ。夏休みも家に帰らず山登りをして、父母がいる新潟の隅っこに思いがけず辿りついた時、なにか後ろめたい気持ちになったのを良く覚えている。今地図を広げると、北小谷は長野県、ここに下りたのではない。ここから登って朝日岳まで行き、新潟のどこかに下りるルートを探すと、栂海新道がある。はたしてここなのか。
 決して能動的に行ったのでなく、連れていってもらったという山行だった。ルートも自分で決めたのでないから、それも記憶が薄い要因だろう。それでも、彼と行った色んな山の思い出が貴重な財産になっている。
 (2011 10 1)この時代に栂海新道ができていたか怪しいし、この道を辿って糸魚川まで下りるのに二日から三日は掛かる。おそらく栂海新道ではない・・・。」
 というものだ。あれからなにか思い出したわけではないが、いま「東京での最後の山行」と書き出して、改めて写真を見てみると、ネガをスキャンした写真の終わりに西船橋のアパートの写真もあった。フィルムが余っていたので撮ったのだろう。西船橋のアパートのあと、上板橋に二年住んだ。東上線の上板橋の駅から重いザック背負って電車に乗り込んだ記憶が確かにあるから、つまりこの白馬岳は最後の山行ではないことになる。上板橋から出発したのはどの山だったろう。
①帰ってきて靴を乾かしている。東京での12年間で四か所アパートを変えたが、ここには七年位居た。この靴も健在だが今は使うこともない。靴の後ろの水筒は今も使うことがある。
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