いずれも恙なく
4月から父は月二回のショートスティと、週三回のディサービス。自力で排尿できないため常にフォーレというものを尿道に付けている。溜まった尿をバケツに入れるのは彼の仕事で、バケツに溜まった尿を捨てるのが私の役目になっている。手術後、食欲が増したのが吉報である。フォーレを付けながらの生活は不便ではあろうが、歩行器を押してゆっくりと歩き、シニアカーにも乗って圃場整備の様子を見に行くのも日課のようだ。母は相変わらず施設で暮らしている。寝たきりを元気と言えば語弊があるから、相変わらずだとしか言いようがない。先週久しぶりに家に戻してもらって、相変わらずの食欲。食べ過ぎたのかおむつからはみ出す大量の便で、シーツまで取り換えたが、いつものこと。ソーメンがうまかったと喜んでいた。去年の余りの揖保乃糸。つゆに缶詰を入れるのは山行流である。いずれも恙なく、と言えばこれもまた語弊はあるが、そう言えるうちはそう言うことにしておきたい。
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