時計を持たないクマは自由か?
クマの一日の楽しみはTが伴う散歩である。夕方、30分から1時間の散歩を至上の喜びとしていることはTが現れた時にちぎれるほど振る尻尾で分かる。また、Tが現れる二時間も三時間も前からTが来る方向を見ていることからでも察しがつく。もし、時計があれば、夏は遅く、冬は早いと季節によって時間が違っていることも分かるだろうから、何時間も前から待たなくて良いはずだ。今だと暗くなるのは7時半、一時間前には来るだろうから6時半出発、だから6時20分位まで小屋の中で寝ていようと考えるはずだ。しかし時計がないので、何時間も外で立って、時々座って待っている。時間に縛られたくないから時計は持たないという話があるが、時計がないから時間に縛られるという逆説をクマは具現している。
クマの小屋がある車庫とTの猫がホームグラウンドにしている作業所の距離は15mほど。方や鎖に繋がれ唯一の散歩を楽しみにして不自由な生活を送る犬と、自由気儘に闊歩してTが食事を運んでくる時だけ集合する猫と、その境遇は日本と北朝鮮ほど離れている。この頃車庫と作業所と片付けていて、猫の総数は4匹だと分かった。血縁関係は不明だが、二匹は親子関係にあるようだ。12年経っても私を吠えるクマは確かに低能だが、諦めの良さはクマの唯一の長所だ。この家に来てからずっと父と寝起きを共にして11年、昨年の父の入院を契機に外で暮らすようになったが、中に入れてほしいと哭くようなことは一度もなかった。だから、猫の自由を羨んでいたずらに吠えることもない。吠えるのは新聞配達のKさんと私にだけである。そのクマが鎖を切らんばかりに飛び上がり猛烈に吠えるので、片付けの手を止め吠える先を見るとアナグマだった。今私の家の周辺の田は大規模な圃場整備を行っている。生活の場を失って、私の家の納屋で寝起きしているのかもしれない。じっとこちらを伺う表情が悲しげであった。アナグマ、アライグマ、タヌキ、ハクビシン。アライグマ以外はいることになる。
住処を追われたアナグマの目には悲しみと諦観と、そして反抗の光が少しだけ宿していた。
Tの猫たちは作業所をホームグラウンドとして日がな一日気儘に過ごす。
Tを待つクマ。
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