2020年3月のこと
俺は見なかったがと前置きしてから、自分が小さい頃天然痘が流行り、新保の旦那が罹って関の医者まで行く時、長い棒を振り回して、俺に近づくなよと言いながら歩いていったと聞いたことがあると父は言った。尿袋の尿をバケツに移しながら聞いていたので、適当に聞いてたが、その尿をトイレに捨てるまでの間に面白い話だと思い、関まで歩いていったろうかと聞いてみた。下関の医者まで新保からなら10㌔以上あるし、病気でそこを歩くのは不自然な気もしたし、昔は歩くのが普通だったから、やはり歩いたのかと思ったりもした。「んだ、旦那だんが、リヤカーにでも乗っていったろが」と父は言う。リヤカーだとすると、引き手が棒を振り回すことはできないから、やはり乗った旦那が振り回さないといけない。そうなると、棒の効果は半減する。ディサービスに行く父に服を着せて体温を書いた紙を渡してから家を出たが、やはり歩きながら棒を振り回す姿が面白いと思った。そして文学青年の定めか、闇の中を長い棒を持って突っ走る話が出てくる梶井基次郎の小説を思い出した。
毎日のコロナのニュースが父に昔のことを思い出させたのだが、そのコロナのために体育館は使えずバドミントンはできない。ただドームの走路だけは村民だけ使用可能なので、がんばって走ってはいる。バドミントンと云えば、トレイニングラケットを買って、暇さえあれは振り回している。普通のラケットの倍の重さで、これで素振りをして筋トレするのだ。これを振り回し、あるいは壁打ちで使ってから普通のラケットを持つと羽のように軽い。軽く振れるからスピードも速い。そしてこのトレイニングラケット自体さえ,そう重く感じなくなる。え、これトレイニングラケットと見返す時もある。2月16日の山北大会の最終戦で5点差をつけてマッチポイントを迎えながら、最後の2本を自分のミスで負けた悔しさを忘れないで、このトレーニングラケットさえも羽のように感じれるまで振り回そうと思っている。暗闇を走る時の棒のように。
換気抜群の山だけはコロナとは無縁だが、一番張りきっている綿野舞さんが都合で8日の二王子も15日の光兎山も来られなかった。いずれも申し分の無い天気で、綿野舞さんが一緒でなかったのは残念だ。
今朝、いつもより若干早く家を出ると通勤する義明さんを鉈打峠で追い越した。追い越し際にクラクションを鳴らすといつも片手を挙げて応えてくれる。綿野舞さんが言うように、井伊直弼が暗殺されてもバルチック艦隊を撃破しても、義明さんはいつもどおり自転車で峠を越えて仕事場に行く。
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コメント
申訳ないが、お返事もらえなかったので再送。30年ぶりに英より帰国。文字通り死ぬために帰って来た。センチになるのは君の得意技だったが最後にちょっと話したくてね。連絡おくれ。
投稿: O | 2020年3月18日 (水) 22時55分
『闇の中を長い棒を持って突っ走る話が出てくる梶井基次郎の小説』、「闇の絵巻」ですよね。ちょっと今原典が載っている本が手許にないので未確認ですが、“闇夜に盗みを働く。暗黒の中でも長い棒を前に突き出し突き出ししながら走るので、幾らでも駆けることが出来る”(大意)逃走名人の怪盗のエピソードだったと思います。闇の中とされながら、非常に鮮烈に眼裏に描かれる光景でした。高校時代の初読以来、“暗闇の中を長い棒を突き出し突き出ししながら、いつまでもどこまでも駆けてゆく男”は、,一種の悽愴さと滑稽味を伴いながら自分の何処か深いところに、なぜか刻み込まれています。
投稿: MA | 2020年3月22日 (日) 14時02分