好きな話

2013年2月22日 (金)

逆説

 悪い予報と予感は当たり、その逆は当てにならない。実際そうなのかもしれないし、そう考えておけば、という処世術であるのかもしれない。
 目覚めたついでに母の部屋のストーブを点け、自分の部屋のも点けるようだが、今朝は父の部屋からストーブの音もせず、母の部屋のストーブも点いていなかった。起きてくる気配もないので心配したが、むしろ良く眠れたからのようだ。 母の部屋に食事を運んで行くとテーブルも出ていて、
注射が効いたのか貼り薬が効いたのか昨日の夜は全然痛まなかったと言う。医者を変えて二回目、吹雪の中を従弟のTの運転で、両肩に注射をしてもらい貼り薬ももらってきた。その貼り薬の方は昨夜私が貼ったのだが、今まで貼っていたものと同じだから、多分注射が良かったのだろう。
 昨日の午後と今日の午前と休んで、雑多な仕事を片付けた。診療所、村上観光、ムサシ(合鍵)、精米、申告の関係等。私のような怠け者は週三日位の仕事がちょうど良いのかもしれない。全然無いというのも怠けるもとなので。あるいは一日三時間、村上春樹みたいな生活。

 強いものは弱く、弱いものは強い、とこの頃思う。結果的に孤高であったので、端からそういう場所を目指すものではないようだ。
「いちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい」皮肉だが真実でもある。

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2012年10月 4日 (木)

二百の岩魚

 どんなふうにも生きれたと思ったり なるようになっただけと思ったり
 結局 どう考えれば 諦めがつくかということらしい
 せめて争わないで生きたいと思えば 人と離れて生きるしかない
 焼かれるのも腐るのも嫌だと思えば 
 今年の夏の梶川の尾根や 二ツ石から狐穴に続く尾根の暑かったこと
 それも幻 けれどもまたいつか会いましょう そういつも私らは言う そういつも笑って言う
 出合の沢から三時間の急坂を登ってきた男は 一日平均百の岩魚が釣れるとやや興奮気味に私に話した
 天狗角取山の頂で 私はただ二日で二百のその岩魚をどうしたのかと思ったけれど 聞く機会なく山を下った 全部食べたならもっとすごいと思いながら
 岩魚もまた焼かれたり腐ったりだ 

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2011年10月19日 (水)

所感

 努力と関係があることもあるが、無関係なことも多い。
 「死の時に仰向かんことを」と詩人は云う。「せめてこの頤が更に小さくならんことを」と。
 「その涙は自分が死ぬ時のためにとっておけ」と作家志望の青年は言った。「それが本当の感傷主義だ」と。
 もう怒ることも泣くこともないと思ったこともあったが、そうでもなかった。器の問題だ。溢れ易い。
 十匹二十匹と入ってきたカメムシが、昨晩は駅伝の練習(伴走)で部屋にいる時間が少なかったためか、わずか一匹だった。目止めが効いたのか、あるいは集中して入る時期があるのか。
 先日の運動会のリレー、「速かったですね」と折々言われる。褒められることがないので謙遜の仕方が分からず、ただへらへら笑うだけだ。上杉鉄平なら「俺より速いのはもうひとりくらい日本にいるんじゃないかな」と言う場面だけど。
 ストイックに生きる難しさをこの頃よく思う。

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