拝啓

2012年9月19日 (水)

決して彼女のせいでなくて

 悔いと不安のためか 暑さのせいか それともEさんの手紙のためか 山から帰って昨日今日と良く眠れないのです Eさん 素敵な文章でした 図書券でバシュラールを買いますね 明日か明後日か明明後日 鷲ヶ巣山の麓から ひとふさの詩が届きます ひとつぶ一粒が推敲されて育まれた言葉 甘くて 少し酸っぱくて 一読して虜になるような とびきりの詩を送ってくださいと特に頼んでおきましたから でももし届かなかった時は 途中で誰か虜になったからですね、そんな詩なんです いつまでもくちずさんでいたいような だから なかなか届かなかったらМさんに聞いてください いつまでもくちずさんでいたいようなとびきり素敵な詩はないかしらと そしてそれはあるようでないしないようであるのよというような曖昧な答えだったら きっと随分くちずさんだ証拠です 私の村には味噌漬けにした蛇をついつい七樽食べて大蛇になった話があります けっして彼女のせいでない  

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2012年6月 6日 (水)

Eさんへ

 大学の時の、サークル仲間の、ご主人が亡くなったという訃報。ずっと一緒に生きていく人を失くした悲痛さにどんな言葉も空しいと、折々弔電の文面を考えていた一日。なぜだろう、あの頃の友達には特別な思い入れがある。切ない感傷を伴った気持ち。一番私が私らしく生きられた時代。三十年も前の、笑顔でいる。だからごめん、弔電は打たない。弔電なんて俺らしくない。思い出を大切に、これからの思い出も。昨日堤防で、写真を撮った。あんまり雑草がきれいで。母と娘と、二人、河川敷を散歩していた。
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2011年3月31日 (木)

三月の終わり(館長退任)

 夜中の雨が薄明にも降る。雷も鳴った。春雷というべきか。三月の晦日。昨日館長が退任の挨拶に回っていた。十三年と三ヶ月、長いようで短く、確かに時間の経ったことを思う。偉ぶったところの全くない、きさくな人であったから、私は気持ちよく仕事をさせてもらい、みんなでやった企画展の展示替えなども楽しい思い出になった。その他様々な行事、「山城探索」も「古道を歩く」も「美術館巡り」もこの館長だからできたこと。登山にも何度もつきあってもらった。きさくで愉快で気前良く、義理に堅くて潔い。長い間本当にありがとうございました。それでも時間は止められないから、病の治療に専念してまた山につきあってほしい。写真は順に杁差岳頂、光兎山雷峰、以東岳登山道。
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2011年2月26日 (土)

餅でないと分かっても齧る(学生Yへ)

 貴君はまだ人生大学も半ばで
 僕のように優秀な成績で卒業した者から
 これは秘密の秘密だけれど
 だれにも秘密という条件で ずばりロハで教えてあげよう
 ひとつは どんな人にも欠点はあること 釈迦やキリストも同様 
 いまひとつは だれでも失敗はあること 特に口の失敗はしょっちゅう
 だから 他人のそれに いちいち反応していたんでは ダイグラを登るより大変
 君の言葉で言えば パタンと戸を閉めたんでは どしどし戸を閉め続けて
 押入れみたいな暗くて狭い場所に自分を追い込むことになる
 僕なんかはそんな戸はない 屋根さえない
 だから野の仏に喩えられるだろう
 鼠は餅が大好きだ
 押入れの中の君の尻は餅と間違えた鼠に噛まれるだろう
 それは低温やけどじゃない 鼠の仕業
 野の仏も押入の餅も楽ではないが
 野の仏は時々 ぼたもちとか もらえる 
 じゃあ 野の仏がいい と学生は簡単に思うが
 卒業するまで何度でも鼠は齧る 餅でないと分かっても齧る

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2011年1月15日 (土)

雪の無い土地で

 もううんざりなんだと思って死んだんだろうか。あるいは笑わせるなあと思ってか。「がんばれ」も「無理をしないで」も風の音のようにしか聞こえなかった。君に無関係に空を行く風の音。私は時々思い描く。冬でも雪の降らないあなた方の故郷。わずか数十年先の、遠い未来に慄きもせず育った幼年の頃の。屈託している間はあなた方の故郷はいかにも遠い。いずれ一度はと思いながらも年を重ねてしまう。大事なものは本当に意志なのだろうか。

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2010年7月23日 (金)

疾風

 僕はソフトクリームを食べながら見ていたのだが、Yは沢山の人で賑わうお土産売り場をくるくると回って、どうやら試食ばかりをしているようだ。僕なんかはちょっとでも食べれば買わなければならない気持ちになるからよっぽどでないと試食はしないが、そういう気持ちを捨てれば土産売り場は忙しかろう。美術館では一枚一枚の絵の前で物憂い亀のようであったのに、今は水を得た魚のよう。あるいは、あちらかと思えばこちらに見えて、神出鬼没、疾風(はやて)のようだと言うべきか。おそらくは食べられるものは全種類食べて、重複したものもあるだろう。貴君の活躍を見させてもらったと言うと、美味しいと思って買っても家に戻ってから食べてみるとそうでもないものが多いと言う。なるほどこれほどの試食家になると言う事も深いと思ったが、単に食べ過ぎただけでないのか。

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2010年6月30日 (水)

身過ぎ世過ぎ

 人間不信は自分不信だからで、まあ美しくもあり醜くもあり、高尚で下劣、そういう二面性を持っているのが人間というだけのこと。そんな猜疑主義の私が、人がいいなと心底思うのはIМのこと。人一倍の仕事を抱え込み文句ひとつ言わず黙々とやって、それを殊更衒うこともない、当たり前にやっている。俺には来世でも真似できない。まあ、Iよ、俺の仕事は所詮口を糊する術、毎日遅くまで仕事をする貴君を尻目にさっさと帰って悪いとは思うが、この後ろめたさは山で返す。飲んで飲みきれない酒を担いで登るから是っ非年に何度かは泊まりの山行につきあいたまえ。実を言うと、ランニングで鍛えているのも酒を担ぐため、ひっきょう貴君の老をねぎらうためなのだ。それをゆめゆめ忘れないでくれ。

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2010年5月21日 (金)

萩焼

 死んだ男のくれたコーヒーカップでコーヒーを飲む。萩はどんな町か。それをどれだけ彼が話し私が聞いたのか。
 考え方次第で世界は変わることは良く分かる。考え方を変えることの難しさも。
 所詮は悩み浅く少なき者が生き長らえるのかもしれない。

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2010年5月14日 (金)

大変危険

 今更だが、ひとつ秘密のアドバイスがある。貴君は確かに山登りには長じている。光兎山なら一時間半だし重いザックを背負って10時間の登りも苦にしない。それで貴君は思うのだろう「空身でしかも平地なら何時間でも屁の河童だわね」。確かに登山もマラソンも持久力が肝心なことは論を待たないが、同じようで同じでない、似ているようで似ていない、たとえばそれは「やりなげ」と「なげやり」だ。これを一緒にして「なげやりなやりなげ」は大変危ない。これが僕の貴君ヘの秘密のアドバイス、他言無用でお願いしたい。

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2010年5月 7日 (金)

Hへの伝言

 高校の同級生Hが突然職場にやってきて人懐こそうな笑顔を見せていった。卒業してから会う機会はなかったから34年ぶりか。この半年くらい、何度か飲み会の誘いもあったが、お察しとおりの社交辞令嫌い、語るべき思い出も現況もないのでお断りしていた。同級生のSが死んだと言い、この年になれば一人二人と欠けていくのだから集まれる時に集まって飲もうと言うのだ。彼の気持ちも分からないでもないが、私に言わせれば人生ひと仕事終わらせた人の感興。山を登り終えて風呂に入り、まあ打ち上げでもしようという感じなんだろう。ところがどうだ僕なんかは出口の見えない藪山だ。足場も悪く急斜面、濡れたザックは肩に食い込む。貴君らと久闊を叙す気持ちになるのはもう百年先。へそ曲がりだけは相変わらずだとこれを読んだらHに伝えてくれ。

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