会話

2014年3月 6日 (木)

せめて

 母のことは変わりなくおります。火曜と土曜と、必ず行くようにしています。
 「でえごん(大根)あろでおいでくれよ(洗っておいてくれよ)」「大根あろで何すらんだ」「漬けらん決まってこで」「だれ漬けらんだ」「おれ漬けらに決まってごで」「何本ぐれあろでおがんだ」「100本ぐれもあろでおいでくれ」「100本もねえがもな」「へば80本でもいいわ」「80本もねえがもな」「へばなんぼあらん」「50本もあるがねえが」「へばあるだけでいいわ」
 多少錯誤はしていますが、普通の思考をし、普通に会話できるものを、施設に入れているのは酷いという気持ちはいつも感じます。けれどもその週二回さえ、時によっては億劫になることがあります。そういう時は、せめて、と思って向かうのです。訪ねる人とて私ひとりの境遇、私の不甲斐なさを思うのです。
 この週末は久しぶりに家に戻れるよう頼みました。せめてひと月に一度はと思って、二月の初めにお願いしていたのですが、施設内でインフルエンザが流行って、延び延びになっていたのです。
 「きんにゃ(昨日)はかあちゃんのどご行ってきたよ」と翌朝父に言うと「どうだった」と聞きます。「おんなじだ」と言うと「へばよがった」とは昨日は言わず「困ったもんだ」と言いました。せめて自分が見送ってからと思っているのかもしれません。
 朝、私が出る時は食堂のソファーでうつらうつらしている父。ストーブを自分の方に向けて犬も横で丸くなっています。遅くならず帰ってきた時も同じです。一日なにをしているのか。犬の散歩午前中に一回、夕方一回。家の周りの雪をいじったような様子が見られる時もあります。天気の良かった日ですが。
 せめて、思うことがあります。
 せめてと思うことばかりです。

 

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2013年11月17日 (日)

訪ねる

  晴れた土曜日、父を促して母を訪ねる。テレビを点けたまま眠っていた母は父に声を掛けられても、すぐには気付かない。椅子を二つ出してもらって、両脇に腰掛けたが、特に話すこともない。「おれ今度いづ帰らんだや」と言えば「ずっとここだんだよ」と言うしかない。ずっとそう聞くのかもしれない。聞かなくなるのかもしれない。せっかく父ちゃんが来たのだからなにか喋らないかというと「きんかだからいい」と言って笑った。
 ここで死ぬことになるのはいかにも可哀そうだが仕方ないと帰り道父は言う。それから今年の紅葉は遅いと、朴坂山を見ながらつぶやく。家に着くとすぐ犬の散歩に出発した。ゴロゴロという台車の車輪の音が静かな集落に響くので、カメラを持って窓を開けると、姿は見えない。しばらくするとS家の家の脇から出て来た。このところ作業車が入っていた家。犬の散歩はつまり集落の現況把握も兼ねている。

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2013年7月17日 (水)

蛙 黙阿弥 てご

 鯉のいなくなった池に蛙が一匹棲んで夜鳴く。ククククククと鳴き始めて、グワグワグワと途切れ途切れ二三回。そして静かになって、また思い出したように鳴く。夜だから蛙も眠っていて、覚めた時に鳴くのかもしれない。雨蛙ではなさそうだが、殿様蛙だろうか。蟇蛙ではないだろう。
 東根以来のランニング、東根の前も体調が悪くて、練習もままならなかったから、ひと月半ぶりくらいかもしれない。雨でない日の夕方車で帰る時、まだ日は長いのにと走らずに帰るのがもったいような気持ちで堤防を見た。週二三度走ればそういう気持ちから解放される。九月半ばを過ぎれば、日が暮れるのも早くなって、もう土手は走れない。
 やはり元の黙阿弥、マラソンペースで走るのがやっと。調子が良ければオリンピック三連覇の選手にもなれるし世界記録樹立もできるが。それでも、走った後は気持ちがいい。充足感というのか、走ることでしか得られないものがある。
 それから母の施設に寄る。十数年前、この道をよく通った頃は、こういう形でここを通ることは想像だにしなかった。有りうべきことなのに、想像できない。そういうことは結構ある気がする。想像できてもできなくても、同じか、同じでないか。
 「てご」を編んでもらったので○○のば
ばさに一万円やってくれ、と母は繰り返し言う。りっちゃと久子と自分の分、三つだと言う。「でご」はどこだと聞くと、そこにねえがと言う。「でご」というのは肩から下げる籠で、山菜採りや柿もぎなどに使う。よしよし分かった、あさってうちに戻った時にうんめにやるわと言って宥める。顎の一部分と口の脇の髭を剃ってやって、ハイチュー、それからさきいかを口に入れてやると、面会に来る時は同じ部屋の人にお菓子でも買ってこいとも言う。施設の人にみかんの一箱でも持ってこいとも。度々そういう事を言うが、私は恥ずかしくてできない。でも、ああ分かった、今度ねとこれもごまかす。「んめみでにずうずうしやんは見たごどねえ」と、なかなか実行しないのでいまいましそうに言う。恥ずかしさの感覚の違いは昔から歴然としていた。母だけでなく、それ以外の人とも。

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2013年4月11日 (木)

茗荷冥利

 茗荷を採りに行くと言う。立野さんの母ちゃんに頼んで採ってもらうとも言う。母の頭の中では家の裏の茗荷畑は今盛りを迎えている。
 特に望んだというわけでなければ、運命だとした方が分かり易い。その日が雨になるように。人生が一日ならそういうことになる。行乞八里、笠を打つ雨。一生後悔すると言った、その途中にあって。
 長生きして、なにひとつ良いことはなかった。哀れに思い、申し訳なくも思う。
 たとえ今が六月の終わりでも、ひと株の茗荷も出ない。

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2013年2月 1日 (金)

所在を求める

 仏でもないが鬼でもないので、母が戻る日はまっすぐ帰る。父はまだ母の部屋にいて、他愛もないことを話しているか、たとえ無言でテレビだけ見ていても、この時だけが昔と変わらない。三つの希望を父に言ったかと聞くと言わないと言う。三つの希望の三つ目は何だったと聞くと忘れたと言う。父母とも齢八十、この春が来れば一になる。私はただ所在を求める。

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2013年1月30日 (水)

三つの希望

 ランニングを早めに切り上げて母に会いに行く。ちょうどおむつの交換を終えたところで、「息子さんが夜来られると言っていたところでした」と世話をしてくれている人が言う。毎週火曜日、来ないわけにはいかなくなった。
 二月からの母の入所は取り止めになった。父の希望で手続きを進めていたが、母の住所を施設に移すことに抵抗があったらしい。それで、二月からは今までより一日多い週5日の泊まりでお願いすることになったが、週四日しか取れない時もあるので、今までと大体同じローテーションということだ。正直、ほっとしているが、父が今のままいつまでがんばれるか分からない。
 部屋の隅にトイレを作ってくれ。姉が死んだ時のために喪服を作ってくれ。もう一つは忘れたが、それも無意味な願いだった。電話の横にトイレを作れば、電話が鳴った時、間違ってトイレに入るよと言うと笑っていたが、自分の体の状況を無視した夢想はいつになっても続くようだ。無視しなければどんな想像もできない、というのが現実なのかもしれない。
 家に帰ると父は寝ていた。まだ起きているのかもしれないが、自分の部屋に犬と一緒に入っていて、テレビの音もしなかったから、三つの希望は伝えず、そのためその一つが今朝思い出せない。

 

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2013年1月16日 (水)

分かり易い

 四人部屋に母だけがベッドで寝ていた。腰が痛くなるので、長時間は車椅子に乗っていられない。他の人はまだ部屋の前のテーブルを囲んで盛んにお喋りをしている。ガムを持って来てくれと言われていたが、溶けてなくなるものが面倒がないだろうと、ハイチュウにした。苺と葡萄と二個ずつ四個を食べ続け、私も同様に食べ続け、食べながら足に鎮痛薬を塗った。薬袋には、小倉さんがくれた眉墨と私が百均で買ってきた眉墨と、いずれもペンシル型のが二本入っていて、どれが高いやつか分からなかったが、眉墨を塗るかと聞くと塗ってくれと言うので、塗ってみると、陽にあたることのなくなって久しい、青白い顔に黒々と見えるのは、私が買ってきたものでない、高級な方だ。
 因果だと思った方がむしろ分かり易い。奇蹟を信じなかったこと。あくまで懐疑的であったこと。

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2012年11月20日 (火)

草餅

 ドームで走ってからコンビニに行く。パンと牛乳と野菜ジュースと、草餅とハイチューと。母のいる施設に寄って、草餅を手渡すと、一口食べては色々喋る。大概は同じ施設に入っている顔見知りの人の話。手が動かなくなったので、三分の一は私が食べて、代わりにハイチューを渡す。それから、背中に痒み止めを塗り、足に痛み止めを塗る。
 いつまで生きられるか分からない人を、施設に入れておく。それでも今は木曜になれば戻るけれど、いずれ入所ということになる。
 私の知っていることは、今日の天気。その空の下で今日一日過ごしたから。母の年齢。七十四歳から八十の今日まで寝たきりでいる。錯誤していることもあるが、正常な思考、感情。もう畑にいることはない。10㌔40分は無理なこと。
 

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2012年11月 8日 (木)

毛糸の帽子

  ずっと雨で、陽が射してもそのうち時雨となる。菊を返して廻った月曜以外はそんな天気が続いている。
 四日ぶりで戻った母の髪は短くなっていた。Oさんに施設に出向いて刈ってもらっている。Oさんはパーマ屋さんで登山家、膝を悪くしたのと年齢のせいで、今は高い山には行けないようだけれど、高山植物のスライド会の講師はずっと彼女にお願いしている。山から電話で花の特徴を言うだけで、過たず言い当てるほど造詣が深い。
 寝る前に毛糸の帽子を被せると「んめには世話になったな」と言う。どこか悪いのかと思ったが、ただときどき感傷的になることもあるらしい。先日通販で買った、羽毛布団も掛けようかと言うと、「あんだにおっきやんいらね」と言う。
 いつ雪になってもいいような雨と風、こんな時期が一番憂鬱だ。

 こんなに弱い人間がどうしてひとりで生きていけると思ったのだろう。ひとりで生きた方がましだと。いろんな感情に塗れて、けれどもそれは人のせいではないのに。

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2012年10月12日 (金)

姥捨

 ケアマネージャーの方と施設の責任者の方に来ていただいて、母の入所の相談をした。今までのように介護できなくなったと父が言う。すぐには入所できないが、当面泊まりの日を増やすことになった。母のご飯が作れないというので、この春から弁当を届けてもらっているが、夕御飯もこの頃はコンビニまで買いに行っているようだった。その運転も覚束なくなっている。六年、ここまで良く頑張ったと思う。去年の六月には自分も倒れて入院、それからも以前のように面倒見てきたが、今年共に八十歳になった。母には気の毒だけれど、仕方ない。

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