せめて
母のことは変わりなくおります。火曜と土曜と、必ず行くようにしています。
「でえごん(大根)あろでおいでくれよ(洗っておいてくれよ)」「大根あろで何すらんだ」「漬けらん決まってこで」「だれ漬けらんだ」「おれ漬けらに決まってごで」「何本ぐれあろでおがんだ」「100本ぐれもあろでおいでくれ」「100本もねえがもな」「へば80本でもいいわ」「80本もねえがもな」「へばなんぼあらん」「50本もあるがねえが」「へばあるだけでいいわ」
多少錯誤はしていますが、普通の思考をし、普通に会話できるものを、施設に入れているのは酷いという気持ちはいつも感じます。けれどもその週二回さえ、時によっては億劫になることがあります。そういう時は、せめて、と思って向かうのです。訪ねる人とて私ひとりの境遇、私の不甲斐なさを思うのです。
この週末は久しぶりに家に戻れるよう頼みました。せめてひと月に一度はと思って、二月の初めにお願いしていたのですが、施設内でインフルエンザが流行って、延び延びになっていたのです。
「きんにゃ(昨日)はかあちゃんのどご行ってきたよ」と翌朝父に言うと「どうだった」と聞きます。「おんなじだ」と言うと「へばよがった」とは昨日は言わず「困ったもんだ」と言いました。せめて自分が見送ってからと思っているのかもしれません。
朝、私が出る時は食堂のソファーでうつらうつらしている父。ストーブを自分の方に向けて犬も横で丸くなっています。遅くならず帰ってきた時も同じです。一日なにをしているのか。犬の散歩午前中に一回、夕方一回。家の周りの雪をいじったような様子が見られる時もあります。天気の良かった日ですが。
せめて、思うことがあります。
せめてと思うことばかりです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント