揺すぶられる唇
君が夜勤に就く頃、私はМ歯科の椅子の上で、上唇を摑まれ、上下に引っ張られたり左右に揺すぶられたりしている。口の開け方が悪い、これでは治療に支障を来すと怒ってМ医師は患者の唇をそうするのである。患者は口を開けたまま頷くだけだ。こんな指導は面白くないけれど、治療を途中で投げ出すわけにいかないので、黙って頷くしか方法がないのだ。太宰は自死し梶井も啄木も若くして病死した。むしろ辛く悲しいことが多かった。私たちの怒りはすべて自分に不都合な他人の行動が対象だ。少し上等なら理想的でない自分自身。私は両方なので最低の部類で、だからこそ、その罰としてなんの罪もない私の唇は人気の無い町医者の指でもって上に下に、そして左右に揺すぶられる。
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