備忘録

2014年7月15日 (火)

ウルップソウ

本州では八ヶ岳と白馬にしか咲かない花、ツクモグサとウルップソウ、一度も見たことがないその花を随分前から見たいと思い、梅雨のこの時期を敢えて選んだのだが、思い切って正直に言ってしまえば、そのいずれをも最初に見つけたのは、Kさんだった。事前に勉強をして目を皿のようにしていた私が探せなくて、花の名も知らず、ひとつもふたつも充分でないような様子のKさん(水戸黄門で云えばハチ)が見つける、私が案外と疎く、かたや容貌を裏切る目敏さということか。ツクモグサ発見のあとは、私が先頭を歩いていたので大変無念である。望んでるふうでないのに水戸黄門は毎週事件に出くわす。人生は水戸黄門でないとドラマが成立しない。

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2013年10月29日 (火)

動機

 良い作品というものは、映画でも音楽でも小説でも、創作意欲を蘇らせる。忘れていた動機を思い出させる。なにもいいことがなかったと捨てばちな気持ちになることもあるが、誰かのせいでない、かみさまも信じていないなら、生きただけ。動機を忘れないで生きる。

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2012年12月 6日 (木)

言うことは、無い

 幸不幸を分けなければ善し悪しもない。だから、同情はするけれども関わるのは厭だというのもスタイルの問題。露骨、あさましくはあっても処世術。何をも信じず、何をも捨てなくても、そういうスタンスもある。

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2012年11月 7日 (水)

150円

 これも何度も書いたけれど、また思い出したので書いてみる。
 高校の時に駅前の食堂に入って大判焼きを食べたことがある。ラーメンとか丼物とかある普通の食堂で、店の前で大判焼きも作っていて、中でも食べられることを見たか聞いたかして知っていたのだろう。昼であったか、放課後バスを待つ間であったか分からないが、皿に載った四つの大判焼きとお茶を持ってきてくれた若い女の人に10円玉で16枚渡して食べ始めると、店の奥でその人が何度も何度も私の渡した10円玉を数え始めるのが目に入ってきた。数えては首を傾げて、僕からは見えない奥の人に10円足りないと言ったのである。すると「いいよ」と女の人の声がしたけれど、ずっといたたまれない気持ちでいた。一個40円、10円玉16枚、何度も確かめたはずだったし、ちょうどそれしか持っていなかったから、ああ足りませんでしたかとも言えず、そっとポケットに手を入れて残っている10円玉がないか探るくらいしかできなかった。
 今朝不意に思い出して、正当な代償を払えず、居心地悪い場所にいるのは、多分その時ばかりでないと。

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2011年11月 2日 (水)

言うは難し

 言うは易しと云う。行うは難し。これは仕事量の話で、関係の中ではむしろ逆だ。言うということが行うという行為そのもので、言うは難く行うは易い。人に頼むということが苦手な人間にとっては、自分でやった方が楽なのだが、それでは自己完結だ。

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2011年9月 5日 (月)

卵酒

 喉の痛みを意識したのは山を下っている時で、車に着いたらザックから薬袋を出して風邪薬を飲もうと思った。家に戻ってうがい薬でうがいもし、喉スプレーも折々かけたが、目覚める度喉は痛かった。扇風機をつけっぱなしで寝たのが悪かったかとか、昨日のS町の体育館の冷たいシャワーが原因かとか考えるけれど、そうとも思えない。ひく時はひく。(ああ何故風邪は「ひく」と云うんだ。「ひく」なんて風邪ばかりじゃないか)。今朝父と犬の目玉焼きを作っていて思い出したんだが、小さい時風邪をひいて寝ている時、父が卵酒を作ってくれたことがあった。けれども今から思うと父の卵酒は、日本酒を温め卵を入れかき回すだけで、全くアルコールを飛ばしていなかったので、熱燗と変わらない。これを飲めばすぐ良くなると父は言ったが、多分益々具合悪くなったのだと思う。家族六人の時代のこと。

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2011年8月17日 (水)

光陰派

  僕なんかはどうも、八月が終われば一年の三分の一が過ぎたと思って、なにかやるせない気持ちにもなるが、これはNさんの口癖でもある。ようやく光陰派になれたということだろう。季節の移ろいを惜しめば惜しむほど月日は速く過ぎていく、そういうことらしい。厳しい冬がようやく和らぎ三月、ここで三分の一。四月に若葉が萌え五月の田植えを迎える頃にタニウツギ、フジ、桐が咲く。緑が定まる六月は日の一番長い季節で、それはつまり一年の折り返し、暑い夏は一年の後半の始まり。蝉の鳴き声は夏の到来を告げ終わりも告げる。夏はいつも短いからだ。そして今虫の音。
 梅雨の初めに咲くタチアオイは夏の終わりまで咲く
 梅雨の晴れ間に咲くノウゼンカズラは夏の終わりまで咲く
 フヨウもムクゲもサルスベリも あでやかだけれど慎ましく 
 夏の終わりまで咲く

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2011年1月11日 (火)

熊谷守一

 年末年始の片付けで、熊谷守一の絵葉書が二枚出てきた。一枚は兎、一枚は金魚。単純な構図、色、線だが、試行錯誤して辿りついた感じが良い。それで注文した画集が昨日届いた。熊谷は1977年に97歳で死んでいる。Sさんの部屋で本を開きながら色んな絵の論評を良くしたが、その中に熊谷の作品もあった。それは1979年以降1990年まで。当時画家の経歴などは知らなかったが、この時既に故人であったことになる。正月に見に行った片岡球子もそうだが、画家として認められ売れ出すのは五十を過ぎて六十も間近になってから。そして百以上百近くまで画家として生きている。自分の好きな事を好きなようにやるのが秘訣なのだろうかと、絶筆を見て思う。

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2010年12月18日 (土)

贈り物

 神様は
  人生に何度か
 出会いという
 贈りものをくれる
 あの日、寝過ごしても行くことになった石転び
 普通なら行かなかった雨の石転び
 これが最後の贈りもの

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2010年11月 4日 (木)

他力本願

 随分久しぶりに小説を買った。ネットで庄野潤三という人の文庫本三冊。好きな作家というわけではないが、「夕べの雲」という作品は折々思い出す。平和な、とりとめのない日常を会話中心に綴ったような印象があった。数日前読み返してみようと思い立ち探したが見つからずネットで注文、他に二冊も加えた。あったはずの「夕べの雲」は多分僕の物でなく、これも借りっぱなしなっていたもの。だから人に勧められて読んだもの。果たして自分で見つけた傑作なんて僕にはあるのかな。心に残る大概の小説は勧められたり読書会でやったものばかりだ。漫画もAからの影響が大きい。山ももともとはSさんだし、そうなるとマラソンぐらいかな、自ら見つけたものは。

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