走る

2020年1月 4日 (土)

今年の元旦マラソン考

 50歳で元旦マラソンに挑戦して56歳の時は目まいで欠場したから今回で12回目。三回目からはラップも記録していたが、去年は無記入、順位こそ2位だったが、初回と同じ45分台という最低の記録で、留めようという気にならなかったのかもしれない。今回のラップを打ち込みながら12回を振り返ると初回45分台の翌年43分、続いて44分、44分、それから3年43分台、そして42分台になって、59歳の時41分台の自己新を出している。60歳の最初が43分、昨年悪天候はあったが45分と落ちて、今年44分台。記録が落ちている原因に加齢があることは否めないが、一番はやはり練習量だろう。バドミントンを始めて走れない日が確実に2日できた。楽しくてやってるバドミントンだが、翌日のランニングはどうも調子が上がらない。疲れが取れにくくなったようだ。また、10月の新潟マラソンが台風で中止になった後、11月の五泉のマラソンも開催されず、その時期の練習に気が入らなかったこともあるだろう。10キロという短い距離だが、ひと月や二月で結果が出るものでなく、一年の練習の成果なのだとつくづく思っている。長く走る時間がなければ30分でも良いから走ること、その積み重ねしかないと覚悟を決めるのである。

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2020年1月 3日 (金)

2020元旦マラソン

 12月の練習で45分で走れれば上出来なんじゃないかと思っていたが、大体その通りの結果になった。なかなか調子が上がらないのは歳のせいかと思い始めて、それでも本番になればもう少し頑張れるのかとも思っていたが、44分25秒。50歳代最後に41分台の自己最高でクラス八位になったが、翌年から60歳代のクラスになり、順位こそ3位、2位と上がってはきたが、記録は落ちてきていた。ただ、1位こそ到底追いつけないタイムだけれど、2位3位は同じ44分台、数年前まで42分、遅くても43分で走っていたので、メダルが遠のいたわけではない。また頑張ろうと思うのだ。
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2019年5月22日 (水)

無意味に苦しくて走ることに原点がある

 笹川入賞の驕りか、なんだかんだ理由をつけてひと月も走らず、ようやく走った翌日からめまいの兆し。それを理由にまた一週間走らなかった。一昨日昨日と元の木阿弥の体力で走って分かったことがある。徒に苦しいが、徒に苦しくても走ることに原点がある。これまでそうだったように、これからもそうだ。意味のないことに意味を持たせ、やり通すことは、苦しくても走ることだと。

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2019年5月13日 (月)

笹川ハーフマラソン 4月14日(日)

昨年は18キロで低体温症のためリタイヤした笹川ハーフ。今年は一週間開催日を遅らせてくれたことが当たって晴天となった。たとえ雪でも去年の繰り返しは避けたいと買ったランニング用の雨具も使わないで済んだ。レース結果は1時間37分55秒。ベストの33分からは程遠いタイムだが、60代7位と、笹川では初めて入賞した。しかし、この後、入賞者の小さな驕りか、なんだかんだと言い訳をする自分を許して一昨日までの4週間全く走らなかった。昨日ようやく巨木探検から帰ったあと走ったが、元の木阿弥の為体でひょろひょろと10キロは走ったものの、今朝はなんだか具合が悪い。改めて思ったことは「なんの楽しみもなく走ることにこそ私の原点がある」。
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僕の誇らしげな顔には4週間前の新潟ハーフの傷が痛々しく残っているが、それがまるで勲章にさえ見える。それに比べ8位のお父さんはなにか面白くない顔をしている。
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綿野舞さんが名付けた「まさかの魔の坂」はゴール直前。
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綿野舞さんはいい記録で完走したが、ベストには及ばなかった。その屈託を紛らすためか参加賞の竹輪をこのように上を向いて食べていた。「上を向いて歩こう」の一節を思わずにいられない。後ろでその様子を見ているのは入賞の藤川君。それで悔しさが癒されるなら自分の竹輪も上げようと思ったのかもしれない。

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2019年3月24日 (日)

新潟ハーフ、大健闘と大転倒、一音違いで大違い 3月17日(日)

 走り始めの1キロは5:30とロスしたが、以降は4:30から:40を維持し、自己新の33分は無理だけれど、去年の36分台より少しでも縮めようと後半徐々に盛り返して迎えたゴール直前、ラストスパートして会場に入ろうとした瞬間にまさかの転倒。足がもつれたのか足元が滑ったのか思い返してもよく分からないが、とにかくバタッと凄い勢いで倒れて、一瞬なにが起きたのか理解できない状態の時に、すぐ横で「ゴールはすぐだから頑張って!」と若い男性の声がした。「え、そんな、まだ頑張れそうに見えるの?」とその声が何か意外な気がしたのは、相当転んだ衝撃が大きかったのだと思う。もちろんすぐ立ち上がって走ろうとしたが、急に止まったせいか、足が攣りそうになり、血が出ている右の膝も痛いし、顔に手をやった手袋には血が付いていたし、あちこち気にしながら会場に入り、なんとかゴールを跨いだ。結果はネットタイムで1時間37分54秒。去年より1分悪いが、最後の転倒以外は気持ちよく走れた。ゴール後、景品のバスタオルと水をもらってから救護室に行き、応急処置だけしてもらって二人を待ったが、綿野舞さんもYも思ったより早く帰ってきて、大健闘というべき結果だった。大健闘と大転倒、わずかの違いで大違いだが、大転倒しても大健闘はできるはずだが、残念ながら僕は両立できなかった。顔の傷は目立ったので、すぐ説明をしなければならない。事実では面白くないので、転んで担架に乗せられたことにした。すぐ担架が来たので自力で乗って、あとすぐだから僕を乗せたままゴールを目指してくれと頼み、よろよろと進んだけれど、あんまりゆっくりだから、近くにいたスタッフにも頼んで、4人で持ってもらってスピードをアップ、会場に入り、ゴール前の直線で「申し訳ないけれど、計測のチップが靴に結んであるから、頭からでなく足からゴールに入ってくれないか」またお願いして、そこでぐるっと担架を回してもらって、願い通り足からゴールできたと。ただ担架の前後を逆にする時間と、そのまま頭からゴールした場合の頭と足の通過時間の差異は、もしかすると後者の方が短かったのかと後悔したことも付け加えた。綿野舞さんは端から冗談だと思っている様子だったが、後から来たYはそれでもゴールは認められるの?と驚いていた。血だらけになって担架でゴールしたランナーは優勝者より沢山の喝采を受けたらしいということも付け加えておいた。

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2018年9月 9日 (日)

不調と我慢

 四五日まじめに走ると調子は上向きになるのに、7月8月とさぼりすぎたせいか全く不調のまま。一昨日もドームに行ったには行ったが体が重く2Kで止め、パルパークのバドミントン前に11K。この疲れか、昨日はなるべく長い距離を走ろうとドーム入りしたのに5K。
 昨年の新潟マラソンは下半身が攣って為体に終わったので、轍を踏まないつもりで去年の練習帳を見ながらメニューなのだが、その去年にさえ到底及ばない。
 しかしながら、我慢をして走っていれば急に調子が上がってくるのが例だ。我慢の期間が長くなるのは節目を越えた年のせいかもしれないが、それを言うのは綿野舞さん以上に走ってからにしよう。
 今朝は久しぶりに7時過ぎまで眠った。山が中止になり、その山行に当てて父が施設に行くので、朝食を作らないで良かったからだ。ひとりだと朝食は昼食と一緒になる。これからその昼食をとって、二時間くらい家周りの仕事をして、それからゆっくり長く走るLSDをやろうと思うが。

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2018年6月11日 (月)

東根ハーフ前日と当日と翌日

 理由は沢山あるが意欲の問題であり怠慢であったことに言い訳はできない。東根も既に11回目、暑さもあり良い記録は出たことはないが、三年前のえんこを除けば悪くても40分台で走っている。しかし今回は55分、ハーフ最低の記録となった。当然最も苦しいレースで、前半マラソン4時間ペースの㌔5分半でしか走れなかったので、せめて後半上げて行こうと足掻いたのだが、今まで経験したことのないような激しい痙攣に襲われて、止まって歩いて、のろのろ走ったりの繰り返し。なんとかゴールはしたが、テントの中で着替えようとすると足はもとより首、腹筋まで痙攣して、ひとり呻いていた。すべて練習不足のせい。大会に出る限りは納得のいく練習をしなければならないことを痛感した。
 追伸、綿野舞のブログに詳しいが、彼もYもハーフ最低の記録で完走した。6月にして真夏のような炎暑、その中のマラソンだから完走で大健闘というべきだろう。まあ言ってみれば炎天に咲くヒメサユリだ。
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前日の土曜日は昨年に引き続き大江町の大山自然公園に遊山。昨年同様沢山のヒメサユリを見て昼食。夫妻の用意してくれた昼食で腹いっぱいになり、サクランボ食べ放題は今年は止めにした。
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それからくぬぎ平の棚田を見下ろす一本松公園のヒメサユリを見学。朴坂山に咲く一輪のヒメサユリも良いが、無数のヒメサユリも美の圧巻。
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今日と明日の宿泊地、朝日自然観のキャンプ場の上にある空気神社にも参拝。「空気神社」、この字のとおりで、くうきじんじゃと読みます。宗教について少なからぬ関心を抱く人は一度は訪ねたい、空気神社。
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いよいよ来ました、マラソン当日。3時半に起床して4時半にバンガローを出ました。
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翌日の朝食。僕は4時半に目覚めてしまってキャンプ場内をくまなく散策、コゲラが餌の虫を探して立ち枯れした木の幹をつつく様子なども大変面白く観察した。
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翌日、東黒森山に登ってから下の公園を散策。
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ウツギ(卯の花)の下で。今年も楽しく苦しくまた楽しく東根🍒マラソン大会は過ぎたのでした。夫妻とYに感謝して。
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2018年3月12日 (月)

調子は上がらずとも

 新潟ハーフまであと一週間となったが調子は一向上がらない。三月に入ってから三日に一度程度しか走ってないから上がりようもない。練習不足は大人の事情、犠牲にできない義理など今更私にないのだが。
 それでもまだ一週間、諦めてしまえば楽なのかもしれないが、新潟の後には笹川もあるから、調子が悪いなりに我慢して走る。
 マラソンを始めて12年、才能と努力があれば世界一にでもなれる年月。残念ながら元旦の銅メダルが最高だけれど、そのメダリストとしての矜持があるから簡単にレースは投げれない。

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2017年6月11日 (日)

東根マラソンのその前後の話②

 東根のマラソンの記録は例年低調で一番良くて39分、フンキュウした一昨年を例外としても47分という年もあった。今回は練習がままならず、直前1週間は全く走らなかった。マラソンの神様がいたらまた下痢の罰を下し、甘受しなければならないところだ。結果は1時間43分14秒。記録を諦めていたので、初めて沿道で支給されるさくらんぼを食べた。たった二個だったが、とてもおいしかった。昨日腹いっぱい食べたものとは種類が違うのだろう、とてもとても甘くて、引き返してもっと食べようかと思ったくらい。
 綿野舞さんは自己新を叩き出した。練習の成果、精進の賜、頭が下がる思いである。高橋さんは順調にラップを刻んでいたが、ラスト3㌔を過ぎた辺りで突然膝が痛くなり、よろよろと走るのがやっとだったと言う。ゴール間近で僕が見た時も、他のランナーと一見して違う走りで、いつかのオリンピックで、脱水症になり右に左によろけながらもゴールした女子選手を想起させる姿であった。それでも制限時間をクリアーしてゴールしたから大したものだ。
 その日の宿は舟形町あゆっこ村のコテージ。翌日登る予定の寒河江葉山に近い場所を選んだが、高い山の予報は悪く、南下して山形県三つ目の葉山、上山葉山にした。

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三吉山から葉山へと登る。上山を通る時は一番目につく三角の山が三吉山、新潟古町は三吉ラーメンである。登山口にはニッコウキスゲが植栽されていて美しい。
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岩海と呼ばれる場所
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三吉山頂上。鐘があれば突いてみる。
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裏に行ければ行ってみる。上山市街が一望できる。
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三吉山から30分で葉山。
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ここで昼食、のち下山。
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エピローグ----花筏(はないかだ)の話。
ハナイカダはとても変わった花で、葉の中心に花を付け、それが実となります。図鑑で見て変わった木だと思ったのは随分昔のこと。それからある人の庭で図鑑で見た通りに実を付けている様を見て感動したのも昔のことです。山で初めて見たのは一昨年の岩手山、そしてその一週間後の米山が二度目です。その2回限りでしかなかったのですが、綿野舞さんはなぜかこの日、三吉山に登ろうという時にハナイカダを見つけた者はアイスクリーム1個と宣言したのです。今までたった2度2木しか出会えなかった木のことをなぜ急に思い出したかは不明で不思議なことです。ありっこないし、ただの気紛れだから本人もずぐ忘れかけただろう頃、なんと先頭を歩いていた綿野舞さんの奥さんが見つけたのです。たった一本、2個の花だけでしたが、紛れもなくハナイカダ。葉を顔に寄せじっと見つめていた綿野舞さんも間違いないと断定しました。その時の彼の気持ちは分かりません。下山時、たった一本のはずはない、良く探せばもっとあるはずだと言い出したのも綿野舞さんでした。なぜハナイカダに拘るのか、それもまた分かりません。そして、奥さんが見つけた水場の前辺りに来た時、突然綿野舞さんが「よっしゃ!ついに見つけたぞ!」と叫んだのです。「よっしゃあ」と言ったのか「よし」と言ったのかはっきり覚えていませんが、興奮してうわずったような、雄叫びというべき大声でした。彼の指差す先には確かにハナイタガの花が一つ、蜘蛛の巣がまとわりついてこ汚い花でしたが、ハナイカダはハナイカダです。でもここら辺は奥さんが見つけた辺りではと周りを見ると、すぐ下にひとつ、もうひとつ。これは紛れもなく奥さんが見つけたのと同じ木であって、主人はその時はこ汚くて目立たなかった残りの花を発見して山中に響き渡るような雄叫びを上げてしまったという、とんだ茶番を演じてしまったのです。そうと知って、意気消沈と苦笑いがごっちゃになったのか、涙を流して笑っていましたが、万が一雄叫びを上げるような場合はよほど注意しなさいという他山の石というべきでしょう。頂上手前を頂上と勘違いして万歳をしてしまった、そんな状況に似ています。思うに、ハナイカダを見つけようと意気込んだのに、それを見つけたのがハナイカダもろくに知らない奥さんだったのが面白くなかったのかもしれません。それが岩海も崩れんばかりのあの雄叫びとなったのかもしれません。

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東根マラソンとその前後の話①

遠方の大会まで行く限りはただ走って帰るだけではもったいないというのが只管組の信条です。今回は前日にユメサユリの見学、さくらんぼ狩り、大会の翌日は葉山山行を企てました。先週の高清水、南郷スキー場での一輪さえないユメサユリ観光と比べて今回の大江町大山自然公園はこのとおり!三須さんには悪いですけれども面目躍如という気持ちです。
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次はさくらんぼ狩り。一時間1,500円食べ放題。いきなりガツガツ食べたのではすぐ満腹になって沢山食べれません。そんな素人ではないので、マラソンと同じくイーブンペースでゆっくりコンスタントに口に運びます。僕は200個位は食べたと思います。練習不足で明日の記録は諦めていたというのも根底にありますが。
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