同じ歌を歌う

2020年5月27日 (水)

2020年5月

 5月さえ終わろうとしている。
 いつもは連休の最中、目につくようになるタニウツギの花の桃色、藤の花の紫、桐の花の紫。今年は遅いと思っていた連休明けにはタニウツギを見つけ、藤を見つけ、桐の花も咲いていた。咲いたのを見れば、ずっと前から咲いていたようで、ただ見つけるのが遅かったように。
 5月は片付けばかりしている。仕事から帰ってから、あるいは休みの日に。このままにしておけないと思って始めて、それを買った時の事などを想像しては手が止まる。そんな想像ができる自分が処分しなければと、また手を動かす。母は突然だったし、父には余裕が無かっただろうから。
 パッキングしたままのザックが目に留まって、中身を出したらスコップやアイゼンやダウンの冬山装備。4月29日の朝のまま。朝起きたら異常に腰が痛くて、なんとか階下には降りたが、顔を洗うのに腰が曲げられない。迎えに来てもらって集合場所まで行ったが、今度は車から降りるのさえ一苦労の様を見て中止となった。連休の山もコロナで中止で、ザックは木六山のための準備のままだった。
 連休中、山には行かなかった。だからタニウツギの花にも藤の花にも桐の花にも気付かなかったのかもしれないと。 

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2020年3月17日 (火)

2020年3月のこと

 俺は見なかったがと前置きしてから、自分が小さい頃天然痘が流行り、新保の旦那が罹って関の医者まで行く時、長い棒を振り回して、俺に近づくなよと言いながら歩いていったと聞いたことがあると父は言った。尿袋の尿をバケツに移しながら聞いていたので、適当に聞いてたが、その尿をトイレに捨てるまでの間に面白い話だと思い、関まで歩いていったろうかと聞いてみた。下関の医者まで新保からなら10㌔以上あるし、病気でそこを歩くのは不自然な気もしたし、昔は歩くのが普通だったから、やはり歩いたのかと思ったりもした。「んだ、旦那だんが、リヤカーにでも乗っていったろが」と父は言う。リヤカーだとすると、引き手が棒を振り回すことはできないから、やはり乗った旦那が振り回さないといけない。そうなると、棒の効果は半減する。ディサービスに行く父に服を着せて体温を書いた紙を渡してから家を出たが、やはり歩きながら棒を振り回す姿が面白いと思った。そして文学青年の定めか、闇の中を長い棒を持って突っ走る話が出てくる梶井基次郎の小説を思い出した。
 毎日のコロナのニュースが父に昔のことを思い出させたのだが、そのコロナのために体育館は使えずバドミントンはできない。ただドームの走路だけは村民だけ使用可能なので、がんばって走ってはいる。バドミントンと云えば、トレイニングラケットを買って、暇さえあれは振り回している。普通のラケットの倍の重さで、これで素振りをして筋トレするのだ。これを振り回し、あるいは壁打ちで使ってから普通のラケットを持つと羽のように軽い。軽く振れるからスピードも速い。そしてこのトレイニングラケット自体さえ,そう重く感じなくなる。え、これトレイニングラケットと見返す時もある。216日の山北大会の最終戦で5点差をつけてマッチポイントを迎えながら、最後の2本を自分のミスで負けた悔しさを忘れないで、このトレーニングラケットさえも羽のように感じれるまで振り回そうと思っている。暗闇を走る時の棒のように。
 換気抜群の山だけはコロナとは無縁だが、一番張りきっている綿野舞さんが都合で8日の二王子も15日の光兎山も来られなかった。いずれも申し分の無い天気で、綿野舞さんが一緒でなかったのは残念だ。
 今朝、いつもより若干早く家を出ると通勤する義明さんを鉈打峠で追い越した。追い越し際にクラクションを鳴らすといつも片手を挙げて応えてくれる。綿野舞さんが言うように、井伊直弼が暗殺されてもバルチック艦隊を撃破しても、義明さんはいつもどおり自転車で峠を越えて仕事場に行く。

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2019年12月30日 (月)

安久とはならなかった令和元年師走

 トイレに入る都度思うことは、随意に排泄できることの有難さである。今や父は浣腸しないと排便できなくなり、いつも申し訳なさそうに言うのである。父のようになって、生きる自信はない。母のようになって生きる意味を見つけれるとは思えない。
 仕事を終えるとすぐ帰って父に夕食を食べさせなければならないことが、私の生活リズムを一変させた。ランニングの時間が遅くなり、寝るのが遅くなり、机に向かう時間が無くなった。まあ、一変とは書いたが、大した一変ではないかもしれない。睡眠時間が少なくなったので、インテリは10時間は寝ないと、という昔の持論を思い出すだけだ。いつも寝不足だと閃きがない。
 父母とも寝たきりになったこと、精神的環境にその要因の一つがあるとしたら、私のせいでもあろうといつも思っている。
 浣腸しながらいつもなぜか苦笑する。苦笑せざるをえない。
 安楽は無い。せめて後悔の言葉を口にしないで死にたいと思うだけだ。安んぞ久しからずや。
 
 

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2019年7月28日 (日)

片付けること

引き取らない本以外はゴミ処理場まで30分、軽トラに積んで運ぶ。

もう履かなくなって久しい擦り切れたジーパン、10本くらい。浪人の時からずっと、ズボンはジーパンに決まっていた。それがいつの時からか登山用のズボンを履くようになり、タンスにしまったまま10年も20年も過ぎた。
衣装ケースに入れたまま作業所に積んでいた母の大量の服も、ビニール袋に入れて軽トラに積む。

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そうして繋ぐ

山登りはできなくともランニングはできる

ランニングができなければスクワットができる

スクワットができなくなっても小説は書ける

小説が書ければ山登りもランニングもスクワットもできる

希望はそうして繋ぐ

バドミントンができなくても壁打ちはできる

壁打ちができなければ素振りをする

素振りさえできなくなったら小説を書く

小説が書ければバドミントンも壁打ちも素振りもできる

希望はそうして繋ぐ

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本を捨てる

本を捨てる
東京から持ってきた本は僕のレゾンデートルでもあった
東京に出て、生まれ変われたと云っても良い
本を通して沢山の世界が開かれて、僕は自由を知った
だからわざわざ東京から運んだし、開くことが無くなっても捨てる気にはならなかった
いつか捨てるものなら元気なうちしかないと
本を束ね始めるが、手に取る一冊一冊に思い出が蘇り、遅々として進まない
借りたままの本、置いていったままの本、返す機会はないだろうになぜか捨てられず、切ない
捨てても捨てなくとも消えない思い出は墓場まで持っていくしかないから
夜中、せめて丁寧に紙紐で括って、一輪車に積んで、ゴミ集積場まで運ぶ

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2019 7月のこと②

 入院して手術を終えてから日に日に父は元気になったが、二ヶ月の病院生活で足腰が衰え、今までできたこともできなくなっての退院となった。入院前はお昼に届けられた弁当を自分で玄関から運んで食べていたし、ポータブルトイレで大便もできたが、ベッドから自力で降りれなくなった。それで、ディサービスやショートスティに加えて、家に居る日は昼と三時にヘルパーさんも来てくれることになった。朝食やその後の準備の負担は増えたが、掛かり始めを早くすれば良いだけ、ただ夕食を食べさせるために仕事を終えたら真直ぐ帰宅することで、今まで生活パターンを変えざるを得ない。走ってから買い物に行く、走ってからクライミングに行く、走ってから母親の施設に行くというルーティンができなくなって7月が終わる。生活のリズムを変えないと二ヶ月後の新潟マラソンに対応できない。

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2019 7月のこと①

新発田病院に向かう

梅雨空の夕方、西の空だけが明るく、今週末退院の予定が立った

もう40年も前、長かった浪人時代を終え、解放感に浸っていた時と同じく、自己顕示欲が強く、感傷的で、

つまり、ずっと変わらないことが分かって、なんにでもなろうとして何にもなれなかった寂しさと、今まで以上は生きなくて良いと云う安堵感

ひげを剃ってやっていると「んめの晩年は俺の病気のためにめちゃくちゃになったのう」と言う。そんなことはない、こんなことは大したことでは

ないし、好きで病気になったわけではないからと慰める

 

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2019年3月 3日 (日)

小指の報告と黒爪の話

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衣類に引っかかるので、引っかかる部分を爪切で切り切りしているとこんな風になった。
爪つながりで話すと足の黒爪はマラソンランナーの勲章である。
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なまじっかの練習ではこうはならない。俄かランナーの練習ぐらいならせいぜい豆ができて痛がるぐらいだろうが、月に二百も三百も走っている綿野舞さんぐらいになるとこんな黒爪が左右に二つも三つもできている。それでつくづく思うのは、年中のべつ幕なしに喋りまくっている啓介さんとかSM先生とかになぜ口周りの故障がないのだろうか。どんなランナーでも膝が痛いと足の裏が痛いとか、何かしらの支障が出てくるものだけれど、彼ら駄弁家あるいは饒舌家という種類の人間から、喋り過ぎて舌が痛いとか唇が腫れたとか金輪際聞いたことがない。もしそういうことが少しでもあれば彼らも少しは自重するのだろうけれど、放埓に喋って省みない。かえすがえすも気の毒なのは彼らの口であろう。冗長な羅列、無意味な大声はそれを聞く者からむしろ軽んずられる。勲章も教訓もない、彼らの口腔の徒労は計り知れない。
  

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2019年1月13日 (日)

天気予報

  これも何度も書いたが、ずっと晴れマークが続く東京、関東地方と、ずっと雪マークが続く新潟と、そんな天気予報を告げるテレビ画面を見ると、決まって東京にいた頃を思い出す。テレビは持たなかったので、夕方どこかの食堂で見たのだろうが、ずっと雪続きの故郷を思って、なにか父母に悪い気がしたものだった。自分は毎日天気の良い関東で能天気にくらしているのにといううしろめたさみたいなものを感じた。それももう四十年も昔のことになって、その感情だけは鮮明に蘇るのに。

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