犬に如かず、虫に如かず

2020年4月12日 (日)

オッドアイ・Tの猫とその一味

今書いている小説を連載することにしました。そうすることで、遅々として進まない筆を速めます。また、読者の希望も入れた発展ができるため、人気作家になる勉強もできるでしょう。一石二鳥、失うものは未知。この物語は前半ほぼ実話、後半は一匹のオッドアイと呼ばれる左右の目の色が違う猫から天啓を受けた主人公私の変貌を描くファンタジーです。今日掲載するのは前半の5分の一くらいです。まだまだオッドアイは出てきませんが、前半に伏線があるので精読してください。

オッドアイ・Tの猫とその一味

 私が中学生の頃、隣の叔父の家で犬を飼い始めた。どこからかもらってきた中型の黒い雑種だったと思うが、玄関に繋がれた犬を飼い主以上に可愛がったのは私の母だった。飼い主より母に慣れて、二年ぐらいで一袋のドッグフードをつけられて私の家に貰われてきた。それが私の家で犬を飼い始めた始まりだ。隣に来た嫁を取ったみたいなもので、私は面白くなかった。母はそれ以前、野良猫を飼いたいと言った小学生の妹の願いを聞き入れず、外で鳴く子猫の鳴き声を聞きながら一晩中泣いていた妹に対して自分がなにもできなかった恨みもあった。そんな母がよその犬を取るという行為が我慢できなかったのだ。それにこの中型の黒い犬には「まり」という名がつけられていて、それも気に食わなかった。誰にも言わなかったが私はその頃デビューした天地真理に魅かれていたからだ。横取りした犬をさすがに母は大事に可愛がった。畑仕事は常に同伴、集落内を世間話に行く時もそうである。ただ、ついでに連れて歩くという感じで犬の散歩はメインではないが、大事にしたことは確かだ。この犬は高校生の頃死んで、毎日母が畑仕事に連れていった隣集落との境、斜面の畑の一角、キューウイの棚の下に葬られた。犬の名の書かれた手作りの墓標と石が置かれた粗末な物だったが、お盆の墓参りにはそこにも母は回った。このあと、父は隣の町のホームセンターから犬を買った。茶色の中型、買ったものだから雑種ではなかったろう。この犬には近くの家の人がジョンという名を提案し、そのままジョンになった。ジョンは父母に可愛がられ幸せに前半生を過ごしたが、後半は母の気紛れで不幸が訪れた。集落を徘徊していた野良犬を母が飼い始めたからだ。いずれ保健所の人が捕えにきて殺処分だろうとたまたま帰省していた私が脅かしたせいもある。野良犬の身分で集落内をうろついていた時期からジョンとは仲が悪かった。素性の知れない犬が家の周りでうろつくのを見れば、血相変えて吠えるのは犬として当たり前なのかもしれない。その犬が正々堂々と自分と同等の身分に昇格して、飼い主の愛情を同等に受けることになったのだから、犬の度量でその感情をコントロールできるものではなかったろう。この野良犬には既に仔もいて、合わせて二匹が外で飼われ、それまで昼は外、夜は家の中で過ごして自由を満喫し愛情を独り占めしていた犬は、結果散歩以外家の中にいることになった。野良犬から昇格した犬が飼い主に甘えたような声を聞くたびに、嫉妬の炎はごうと燃えて、狂ったように大暴れした。障子を何度も壊し、家の壁のあちこちに大きな穴を開けた。東京で十二年暮らした私が帰ってきた時、二階の一番奥の私の部屋の床の間の壁にもかきむしって空けた穴があり、その前にテレビを置いて三十年が過ぎている。野良犬時代から野良と呼ばれた親子はそのまま「野良」という名前を変えられず、野良の親、野良の仔の方、と区別されて呼ばれた。私のような文学青年は野良と聞くと「人形の家」を思い出す。主人公ノラは自立を目指して家を出たが、不幸なジョンは時々家を脱出しただけだ。脱出しては外の親子に喧嘩を仕掛け、二対一で分の悪いジョンは獣医、仲裁に入った母もどさくさに手を噛まれたりして度々医者通いをしていた。その修羅場の様子をその頃には東京から戻って家に居た私は何度も聞かされた。そして不幸な半生を終えたジョンもまたキューウイ棚の下に埋められた。残った親子は気兼ねない生活を謳歌していたが、母によると却って親子仲が悪くなり、時々噛みつき合う喧嘩をしたそうで、母はまた手や時には足も噛まれたりしていた。多分、共通の敵がいなくなったことで連帯感が薄れたのだろう。そんな親子も母が倒れた翌年の春先、相次いで死んだ。私が東京にいた頃、祖母死んでひと月も経たないうちに祖父が死んだように。

 そして、今度は私が新しい犬を買ってきた。たまたま半額になっていた犬を見つけたのだ。私が結婚しなかったため、犬がいなくなれば寂しい、新しい犬が来れば寂しさも紛れるくらいの気持ちだったと思う。真っ黒な豆柴に父は熊五郎という名を付けて可愛がった。「熊五郎」はやがて「クマ」と省略させて呼ばれ、犬の登録票もその名になっている。父はクマを溺愛し、一緒に寝ていた。だから、母の倒れてからの年月とクマの年齢はほぼ一致する。母は寝たきり十三年、当時生まれ半年位だった犬もそれ位の年齢だろう。なぜ半額だったか、それはだいぶ経ってから分かってきた。
 しかし、母の介護をする父も、年とともに衰えてきて、朝夕の犬の散歩の夕方の方をTに頼むことになる。Tが猫の餌場を私の家の作業所にしたのはその頃からだと思う。

Tは同じ集落に住む従弟だ。私の知っている限りでは、若い頃から引きこもりで、ちゃんと仕事に就いたことはない。母と二人暮らし、猫を飼っていたが、その猫が増えて、猫同士の仲が悪くなり、仲間外れで怪我ばかりしていた猫の避難所をわが家の作業所としたらしい。社会から遠ざかっていったTは小さい時から動物好きではあった。初代の「まり」の時代から代々馴染みで、無聊な時は犬の顔を見に来て、徒に頭を撫でつけていた。無職になってからは一層そんなことが日常であったので、父は散歩をTに頼んだのである。
 散歩の半分をTに委託してから、更に父は体力を失くした。クマに引っぱれて転んで怪我をしたのを教訓に四輪の台車を使用した。台車に犬の紐を括りつけて散歩する姿を私は良く二階から眺めていた。木工の仕事の運搬に使っていた台車は頑丈であった分重かったので、自由に動かしづらかった。私はその四隅に蛍光色のテープを巻いて遠くからでも運転手に目立つようにした。しかしいずれそれを押して歩く体力にも陰りが生じ、家を出てすぐの田の畔に腰を下ろして先ず一休みする。台車は三輪車になり、そしてシニアカーになった。シニアカーは電動であったので、今までにない遠方まで犬を連れて行くことがあったが、その時代も長く続かなかった。 

 Tは小さい時からナイーブな男だった。父親は頭の良い人間で村会議員などもした名士ではあったが、酒癖が悪く、Tが思春期を迎える頃はアル中となり集落を回って酒を請うような為体、そんな父親を恥じ、益々内向的になっていったように思う。私が家を離れ東京で暮らすようになってから何年かして、そんなTが高校を中退したことを知った。貧しさもまた人を消極的にする要因になる。私は浪人の身でありながら復学するよう手紙を書いた。Tは復学したそうだが、その後のことについては詳しいことは知らない。遠くに働きに出て長く家を離れるようなことはなかったと思う。いつのまにか家にいて、ニワトリを飼い、猫を飼い、よその犬を無暗に撫でる毎日。Tのことを思うとき、頭が良い悪いなんて人生の幸不幸には関係ないと思う。必要以上の繊細さは重荷になるだけだ。

 母の介護にも限界が来て、母は施設に預けることになった。私は三人分の朝食作りが二人分となったが、自身のことも全うにできなくなった父の介護も少しずつ始まる。ひとりで風呂に入れなくなったので、週三回のディサービスに行くことになり、毎朝の食事もベッドまで運ばないといけなくなった。そして胆嚢炎になって胆嚢の切除手術と入院で体力が更に衰え、退院してからは自力で排尿できなくなって、フォーレ(尿道留置カテーテル)をぶら下げることになる。陰茎に管を入れ尿を排出させ袋に溜める装置で、寝ていても自然と尿は出るが、色々と不便なことも多い。一番大変なのは時々詰まること。それから一年半後、今度は胆管炎で入院、そして寝たきりとなって家に戻ってきた。父が寝たきりとなって、私の生活も一変した。猫と私という観点で云えば、それまで曖昧にしか知らなかったTの猫の全貌を知ることになり、猫と私の関係が変化した。

 時々施設から戻る母のベッドを置く部屋と、寝たきりとなった父の部屋のために、家の中を片づけはじめ、片づけた荷物を取りあえず作業所に運んでいるうちに作業所が溢れ、作業所を片づけ始めた時に、現実をまざまざと見ることになった。それは累積した糞である。新旧、古い物は固形化し風化さえ見られ、新しい物は臭い立つ。顔を顰め、しばらくその累々たる様に呆然とした。その状態は二階も同様で、糞便を片付けるのに丸一日を要した。作業所は元々農作業のための別棟である。昔はここで脱穀をし、稲刈りと脱穀を一度にする機械、コンバインが使われだしてからは大型の籾の乾燥機がここに設置された。また、出稼ぎの替わりに木工業を始めた父はここにいくつもの機械を並べて作業もした。私が地元に戻って働く頃にその木工業から手を引き、母が倒れてから農業も止めることになったので、作業所は使われなくなり、Tの猫の餌場となっても支障はなかったのだ。Tは毎日ここに餌を運び、猫たちはぞろぞろと作業所の奥から出てくる。この光景を見ただけでも餌場はつまり住まいであることは一目瞭然だが、管理人が常駐しない住まいはつまり排泄場になることまでは知らなかったのである。動かせない大型の木工機械の裏の排泄物も片付けて、物置になった作業所から不要な物を軽トラに積んで、小一時間掛かる隣の町の処分施設に何度か運び、こんなさっぱりしたところに脱糞はしないだろうと高をくくっていたのだが、残念なことに猫には私の志は通じず、生々しい物を発見する日が続いた。そしてある日、人から聞いた猫忌避剤を通販で大量に買って、作業所の至る所にその白い顆粒を万遍なく撒いた。これが反猫の狼煙を上げた日である。果たして効果のほどは、と帰宅してから覗いてみると、猫が白く撒かれた忌避剤の上でのんびりと寝ていた。


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2019年10月10日 (木)

たぶらかされているのか

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 猫が犬のすぐそばで寛ぐ姿を見て、探偵の話を思い出した。テレビドラマの探偵は電信柱やポストに隠れながらたいぶ後ろを尾行するけれど、本物の探偵はすぐ後ろを通行人のように歩いて尾行するという。ベテランになるとすぐ後ろ1m背後を歩いて、対象が急に立ち止まって、ぶつかってしまった場合でも「あっ失敬!」くらい言って通り越していく。この光景を見て最初ベテラン探偵のようだと思ったが、それにしても近過ぎる。いくら目が悪い犬でも気づくだろう。もしかして、たぶらかしているのか!犬語と猫語、通じ合うのかどうか分からないが、何かしらの手段で徐々に距離を縮めて、こういう関係にまで持っていったのかもしれない。

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2019年9月23日 (月)

ジャカルタ、マニラ

 ドームの燕の話は以前しただろうか。海を越えて何千里も飛んできた燕がドームの中に入って出られなくなり、チェンチェンと鳴き続けながら、疲れ果て餓死してしまう話。天井に張られた網の中に一旦入ってしまえば、自力でも他力でも出られない、ただ死を待つだけの残酷な運命が待っている。ここで生まれて南に帰るはずの子もまたそういう運命となって死んでいく。ジャカルタの市街の上空を飛ぶ夢、力尽きて網の上に落ちた死骸を周回毎に見上げながら、何もしなかった私は、ただアクエリアスだけを飲む。がぶ飲みするだけだ。

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2019年9月17日 (火)

Tの猫

  車庫をねぐらとしていた二羽の燕は猫の餌食となった。六月の終わり、最初一羽が来なくなり、車庫の隅に羽の残骸を見つけて猫の仕業と分かった。こういうことにならないよう、いつも夜は閉めておくシャッターも閉めないでおいたのだが、バラバラになった羽を箒で集めながら残念で仕方なかった。そして、もう一羽もいつもの場所にとまっていない夜が来て、やはり羽の残骸を見つけ、車庫にもう燕は来ることがなくなった。どうやって猫が捕ったか分からないが、猫に対する面白くない感情が生じた。
 家を少しずつ片づけて、その荷物を農作業所に運ぶと、乱雑だった農作業所が更に乱雑になった。意を決して片づけ始めると、あちこちの隅で十年、二十年と溜めた猫の糞に出くわす。去年犬の居る車庫を片づけた時も沢山の糞があったが、それを遥かに凌ぐ量であった。Tがここに餌を運び始めたきっかけは多数匹に増えた猫の中の、仲間外れにされた猫をここで飼い始めたことだそうだ。いずれも無償ではないが、犬の散歩や病院の送迎を頼んでいる手前もあったし、その頃は母が倒れ農業を止めて作業所も使わなくなってしまっていたので、父は看過してきたのであろう。私も特に支障はなかったが、この夏、また子猫が二匹と三匹とで生まれ、この作業所と納屋とで何匹いるのか見当もつかないぐらいになった。夜中の猫の喧嘩、さかりの時期の鳴き声、それらに反応して吠える犬などは大概夜中のことで、車庫の脇の物置にしまっておいた物に小便をかけられたり、時折家に入り込んで食べ物を漁って散らかすこともあったりして、だいぶ煩わしくなってきた。そんな時に、この大量の糞尿に出くわし、出来る限り片づけて、猫の居場所に適さないようにすることにした。父が木工をしていた時の大型の機械は動かしようもないが、捨てられる物は軽トラックに積んで処理場に運んだ。二階も同様にひどい状態だったので、ある程度片づけてから猫が上がれないよう階段に網を掛けた。完璧にすると自分が上がれないので、易々と上がれない程度で良い。ある程度片づけてから通販で買った顆粒の猫忌避剤を隅々に撒いたが、この上で猫が昼寝をしていたから利き目は期待しない。Tに犬の散歩をしてもらっている手前、全部の猫がいなくなることは望んでないが、せめて生活の基盤はここから移ってもらって、餌場としての活用だけというのが今の目標である。
 家で飼われ、内外を気ままに過ごす猫が大半なのに、更に追い打ちをかけるようで、済まない気もするが、私はやはり聖人にはなれない。達観も得られない。出来る限りかたずけておいて、なにかあった時に、出来るだけ迷惑をかけたくないという、世俗的な世間体が優先する。
 その後、掃除した作業所に新しい糞が見つかって、Tに話をして、作業所の戸を閉めることにした。父親の糞尿だけでも沢山なのに、猫の糞便までは手に負えない、なんてことまでは言わなかったが。
 作業所を閉めてから、休みの日に二階から観察していると、かTが餌を運んでくる午前10時頃と午後6時頃にはぞろぞろと猫が餌を求めてやってくる。餌場は作業所前と作業所脇の冬囲いの資材を積んだ小屋と昔牛を飼っていた納屋の三ヵ所で、二階の窓から観察できるのは作業所前だけだけれど、五匹か六匹やってくる。この五匹か六匹が他の二ヵ所の餌場を掛け持ちしているのか、それぞれの餌場にまた別にいるのか分からないが、この五、六匹の中に今年の夏生まれたはずの子猫は混じっていないから、その総数は容易に推し量れない。そして食事を終えるといずれかに消えていく。私の家の周りを定宿としているのは多分二匹。Kの家は私の家から田を隔てて百メートル以上も離れているが、Tの猫が三匹、作業所に住みついていると言っていた。食事の時間になると安久家まで行くらしいと。
 

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2018年9月 9日 (日)

猫と犬と壁打ち

 燕は南国目指して旅立ったようだが、犬と猫と僕は相変わらずだ。Tの話だと子育てをしている間に場所を何度か変えるというが、相変わらず犬小屋のある車庫にいる。そして驚いたことに犬の小屋の真後ろに居ることもある。親は犬小屋の屋根の上に寝ていることさえある。犬がこの親子と仲良くやっているとは思えないので、ただ一方的になめられている状況だ。ただ犬小屋の後ろは、道具箱と窓の隙間の狭いスペースが居住空間なので、僕が忍び足で近づいて、上から子猫を鷲掴みにするようなことを続けたら、この二三日ここには遠征しなくなった。
 ビールケースを台にした物置棚は、逆さにしたビールケースがちょうどトンネルになって、親猫には少々窮屈そうだが、子猫には自由な空間になっているようで、端に見えたのが、次の瞬間に反対側から顔を出す。僕の気配に身を潜めても、壁打ちの音に慣れてくると三匹はもそもそと動き始め、油断して出てきたのを取り逃がし、また壁打ちを始めるという繰り返しだ。
  バドミントン、週一回の教室に通ってそろそろ二年、今だハイバックはできないが、なんとなく感覚が分かってきた部分もある。

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2018年8月19日 (日)

燕と猫と犬

 車庫の一角だった虎の穴を拡大して車庫全体にした。犬の住まいでもあるので、風が入るように昼はシャッターは開けておくが、夜閉める。夜中に犬が吠えるからで、狸が通れば吠える、猫が喧嘩を始めれば吠える、早朝にも新聞配達に吠えるから、隙間を開けて閉めておく。燕が寝床にしているのは昼開けっぱなしにしているからだろう。裸電球の配線に止まるのが好きで、壁打ちを始めると、バタバタと車庫の中を飛び回る。でも六羽だった昨日は僕の方が遠慮して、右側の方だけで壁打ちをした。配線の左の方に止まり木を作ってやったのだが、利用する様子はない。
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  Tの猫の一匹がこの車庫に入り浸っていることは知っていた。壁打ちをしている時に道具を積み重ねた中の方でもそもそ動いて脅かされた。鎖に繋がれた犬の行動範囲を考えた緻密で大胆な行動だが、犬もかなりなめられている。そして、犬がTに連れられて散歩に出た時に犬の餌を当たり前のように食べている姿も目撃した。
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写真はポリバケツに身を隠す猫と、その気配を感じて注視する犬。私の居ない日中、こういうことを繰り返して一日が過ぎると思っていたが、この猫には重大な秘密があった。子供を二匹産んでいたのだ。ビールケースを台にして壁際に棚を作っているのだが(写真奥)、そのうつ伏せたビールケースの中やビールケースとビールケースの間を子育ての場所としている。ビールケースの前には雑多な道具がごちゃごちゃと置かれ、そこにシャトルが紛れ込むのを避けるためにネットを張っているのだが、こういう状況が秘密の隠れ家に相応しかったようだ。それにしても犬の居る車庫に仔を産むとは、大胆な行動だ。ここなら他の猫に邪魔されないと考えたのだろう。
Tの猫は三匹から五匹、新たに二匹が加わることをTは知っているのだろうか

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2018年6月24日 (日)

時計を持たないクマは自由か?

 クマの一日の楽しみはTが伴う散歩である。夕方、30分から1時間の散歩を至上の喜びとしていることはTが現れた時にちぎれるほど振る尻尾で分かる。また、Tが現れる二時間も三時間も前からTが来る方向を見ていることからでも察しがつく。もし、時計があれば、夏は遅く、冬は早いと季節によって時間が違っていることも分かるだろうから、何時間も前から待たなくて良いはずだ。今だと暗くなるのは7時半、一時間前には来るだろうから6時半出発、だから6時20分位まで小屋の中で寝ていようと考えるはずだ。しかし時計がないので、何時間も外で立って、時々座って待っている。時間に縛られたくないから時計は持たないという話があるが、時計がないから時間に縛られるという逆説をクマは具現している。
 クマの小屋がある車庫とTの猫がホームグラウンドにしている作業所の距離は15mほど。方や鎖に繋がれ唯一の散歩を楽しみにして不自由な生活を送る犬と、自由気儘に闊歩してTが食事を運んでくる時だけ集合する猫と、その境遇は日本と北朝鮮ほど離れている。この頃車庫と作業所と片付けていて、猫の総数は4匹だと分かった。血縁関係は不明だが、二匹は親子関係にあるようだ。12年経っても私を吠えるクマは確かに低能だが、諦めの良さはクマの唯一の長所だ。この家に来てからずっと父と寝起きを共にして11年、昨年の父の入院を契機に外で暮らすようになったが、中に入れてほしいと哭くようなことは一度もなかった。だから、猫の自由を羨んでいたずらに吠えることもない。吠えるのは新聞配達のKさんと私にだけである。そのクマが鎖を切らんばかりに飛び上がり猛烈に吠えるので、片付けの手を止め吠える先を見るとアナグマだった。今私の家の周辺の田は大規模な圃場整備を行っている。生活の場を失って、私の家の納屋で寝起きしているのかもしれない。じっとこちらを伺う表情が悲しげであった。アナグマ、アライグマ、タヌキ、ハクビシン。アライグマ以外はいることになる。
住処を追われたアナグマの目には悲しみと諦観と、そして反抗の光が少しだけ宿していた。
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Tの猫たちは作業所をホームグラウンドとして日がな一日気儘に過ごす。
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Tを待つクマ。



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2016年10月15日 (土)

ゾウムシ

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一つの栗に三つ目の穴が空いて三つのゾウムシの幼虫が出てきた。二番目に出てきたのを(上の写真)菓子の空缶に栗と一緒に入れておいたら、もう一匹増えて、穴もひとつ増えていた。もったいないような気もしたが、世話もできないので、紫陽花の下の地面に埋めた。土の中で蛹になって来年成虫のゾウムシになって出てくるそうだ。最初の穴から出てきて行方知らずだったやつは、畳を這ってるのを捕まえて同じ場所に埋めてきた。ひとつの栗から三つもゾウムシが出れば、うじゃうじゃゾウムシはいるのかもしれないが、成虫のゾウムシが部屋に入ってきたのは今まで一回しかない。

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2016年9月25日 (日)

 牛乳はあまり飲まないのに今年は牛を良く見る。美ヶ原と、森吉と、そして昨日の戸隠で三回目。二回だとそうは思わないのだろうが、三回となると「また、牛だ」と感じて、振り返る気になる。牛のいる光景は、のんびりしていて良い。その結末を想起させないのんびりさだ。
美ヶ原の牛
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森吉の牛
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戸隠の牛
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2016年6月17日 (金)

そういう態度もとる

 玄関のガラス戸でバタバタと羽ばたいて外に出ようともがく蛾を横目で見ながら家に上がろうとすると、ズボンの中、パンツの下のちょうど尻の割れ目にその蛾が入った。それ以上の侵入を封じようと慌てて手を入れて蛾を掴むと、手に蛾の尻のむにゅとした感触があって思わずひるむが、放すわけにはいかない。しかし、蛾を掴んだ手を外に出そうとすると、ズボンのベルト辺りのしぼまった部分が邪魔をして出せない。ここで目が覚めた。これは瓶に入ったバナナを掴んで取り出そうとすると、引っかかって出せないという、猿のジレンマだ。蛾は嫌いな虫の代表だ。大概の虫は平気だが、蛾はだめだ。特に蛾の腹のぷくぷくした感じが気持ち悪い。これを掴んでしまったのは夢の中でも貴重な体験であろう。

 H家の犬の犬小屋の前にTと我が家の犬が居るのを二階から見ていた。散歩の帰りに早起き犬を表敬訪問した風だが、早起き犬の姿は見えず、Tは犬小屋を覗き込んだり作業所の奥の方に目をやったりしている。犬の方はやたらしっぽを振って喜んではいるが、これは留守をいいことにH家の犬の餌を食べているからのようだ。下を向いて盛んに尻尾を振っている。「居ないから帰ろう」と犬を促して我が家の方を向いた時、散歩から帰ってきたのか白い早起き犬が姿を見せた。しかし、待っていたTと犬に対して喜びの態度は現さない。四六時中、小屋の前で動き回って吠えている犬が、右向きから左向きに向きを変える程度だ。しかし、吠えるというわけでもないから、この訪問は日常的ではあるようだ。但し早起き犬にとって、そう嬉しいものではないことが察せられた。これは昨日の夕方二階から見た光景だが、文書を配りに訪れた際の早起き犬の異常な吠え方と、この時の妙に覚めた態度が違い過ぎて、むしろこちらに現実味がなく、夢を見たような気分になった。

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