徒然

2016年5月28日 (土)

残念だが悪くはない

 衛生アンテナを付けてから錦織の試合を見ている。全くの深夜なら諦めるが、10時前後から始まると最後まで見てしまい、寝不足になる。もし、彼がジョコビッチのように圧倒的に強かったら、好んで見ることはないだろう。ギリギリでなんとか戦って勝つからおもしろい。今全仏の試合で、昨日は三回戦をフルセットでなんとか勝ったようだ。テレビでの中継は無いようで、残念だが悪くはない。

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2012年11月 5日 (月)

見えるものを見るだけで良い

 飄々と生きていくためには全部を諦めなければならない。
 笑って生きるためには末期を念頭に置かなければならない。
  小説を書き始めた頃は、同人誌の締め切りに合わせて書いていた。それでも、こんな11月の寒々とした日はどんな風に過ごしていたのだろう。たった一日でもはっきりとは思い出せない。
 憂鬱な空の下でも考えることは沢山ある。昔のように小さい、短い、それでも一生懸命な短編を年が代わるまでに書いてみようか。

 

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2012年10月 4日 (木)

十月朔日

 夜中に目覚めてしまうので 思ったほどは眠っていない
 出勤の車のガラス越しに 戯れるカラスを見て思ったことは
 それがいいことでも 悪いことでも
 死んでしまえば全てが終わる
 ということ
 それとこの頃思うのは
 一年のうちでも 良い時候に生まれたということ
 

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2012年9月27日 (木)

誰もが

 すべての事象は政治的である。隠密に行う私の自涜さえ政治的である。ただ、政治的であるまいとする意図があるだけだ。
 同じ土俵であるから、実力を発揮できなかったという言い訳は笑止。発揮できないのを実力とは云わない。
 所詮は才能無きを恥じたのかもしれない。昔の話だけれど。
 誰もがその願うところに住むわけではないというけれど、今日のような秋晴れの日は、山にいたいと思うのだ。

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2012年6月21日 (木)

河清を待つに似て

 日の長いうちにたくさんの山に行きたいと思うけど、代休もなかなか取れないし、晴れるとも限らない。
 富山の入善町は曽祖父の故郷、大正時代にそこからここに来て開墾を始めた。同じ苗字が何軒かあったと、山の帰りに寄ってきた私が言うと、一度は行ってみたいと父は言う。それでそのつもりで計画を立てたが、いろいろ理由をつけて先延ばしにした。そしてそれきり頓挫、今はもう気力も体力も無いようだ。
 万全でなくても、行ける時は行った方が良い。万端整うのが行くべき時でないことが多い。

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2012年6月 3日 (日)

大きな違い

 午睡すると、一日の過ぎるのは速い。走りには出ようと思っていたが、だんだんと億劫になってくる。けれども、テレビを見るのよりは良いと思い、車に乗る。坂町が近付くと蔦屋に行って映画を借りて帰ろうかと思う。それもつまらない、何も得るもののない、逃避だと思い、総体に行く。1時間走って、ウィンドスプリント5本。山に登るのと走るのと、後悔することはない。でも、大きい意味では逃避だ。むかし、MOが「思い切って書かないことにしたら」みたいなことを言ったことがある。書かないのと書けないのと、大きな違いだろう。
 ズボンの中がゴソゴソして、大急ぎで全部脱いで振ってみるとゴキブリが出てきた。54年で初めてのこと。

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2012年5月12日 (土)

知らないより悪い

 なにもしんじないのはなにもしらないとおなじ。二日に一度、台所の外で食事を待つ豚猫より悪い。

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2012年4月17日 (火)

癒し庵で思ったこと

 今日また癒し庵に行って改めて部屋を見てみると、施療のベット以外にあるのは時計とストーブだけだ。ただし隣の部屋に掃除機か箒はあると見たが。床屋なんかだと沢山の道具や設備が必要だけれど、整体は潔い。
 これも何度も書いたが、週10日パチンコ屋に行って、そのうち2日は朝9時から夜11時まで、煙草とコーヒーだけで14時間ハンドルを握った男だから、マラソンなんかはたかが四時間、屁の河童だ。
 水害に後に池(月型湖)ができて、そこに誰かが作った筏があった。それに乗って遊んでいるうち、従弟が落ちて溺れ、飛び込んで助けようとすると、しがみつかれてもろとも沈んでいった。そしてようやく従弟は私から離れ、それぞれ懸命に浮き上がって筏につかまった。帰途、従弟は靴の片方を失くしたと泣いていた。
 男の部屋に踏み込んでいくと、靴を脱げと男は言った。何度もそう言った。
 浪人の時、まだ東京に出て間もない頃、山手線を池袋の駅で降りる時、サンダルが踏まれて脱げ、電車とホームの間に落ちた。駅員に取ってくれとは言えないで、片方裸足で東上線に乗り、アパートまで帰った。まとめれば、自分の足に合った靴を履いて歩く。

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2012年3月18日 (日)

晩節を

 どんな欲望も時間の流れの中では儚く虚しい ならば個性とはなんだろう
 晩節を汚すという言葉がある。随分ご立派な人生を歩んで来られた人の戒めの言葉。せいぜい自重、お行儀良くお願いします。
 18歳の自分を思い出す。高校三年から浪人一年の頃。それから18年が色々あって36歳。そしてまた18年で今54歳。汚すような晩節もないだろう。むしろ昔のように恥を恐れず生きること、それが相応しい晩節。

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2012年1月20日 (金)

営み

 走るのも山に登るのも書類を作るのもパチンコ屋に行くのも、雪下ろしも母の足に痛み止めを塗るのも、書く以外の事は全部同じだと思っています。つくづく思うのは、わたくしという人間は、バランスの悪い人間であった.。昨日今日と晴れて、こんな晴れた日には夜カメムシが出てくる。廊下の温度計は珍しく5度を超えている。

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