雲の湧く稜線に

2020年6月22日 (月)

鳥海山鳥海湖

 鳥海山は何度目だろうか。近年は登山口を変えて一昨々年は湯ノ台コース、昨年は矢島口から登った。鉾立から登るのは2009年以来11年振りになる。この時は初日に月山に登り、遊佐のキャンプ場に泊って、翌日鳥海に登ったのだが、テント場の夕食時、菊水を飲み飲み調理してくれたIKさんがふつか酔いとなり、吐きながら登ったことは印象的であった。吐きながら登るという文字通りの覇気を発揮したのは2005年8月にAKが朳差に登った時とこの時しか目撃したことがない。若かった彼らを讃えたい。さて、今回は登って登らないノボラーズの担当、頂上は無理なので鳥海湖が望める御浜小屋までと決めてゆっくり、楽しんで登ること第一義。結果、頂上ピストンなら余裕がなくて通らない長坂道、吹浦道の一角を回り道できて、そこがハクサンイチゲに覆われていた。
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海を背に登ると長い雪渓登りが始まった。
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御浜小屋に着いて昼食にしていると頂上新山までくっきりと見え始めて。
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そして帰途は鳥海湖を見下ろすコースへ。するとハクサンイチゲの花畑が満開で迎えてくれた。登ってノボラーズ冥利に尽きる光景。
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チングルマも負けじと歓迎
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感激の鼓動のまま雪渓を下りました。
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ピークハントばかりが登山でない。これがノボラーズの真骨頂。どんな山にも体力に見合ったコースがあるのが登山の魅力と再認識した山行でした。このあと、道の駅ねむの丘で地魚丼とアイナメのガラ汁。遅くなって食堂が見つからずコンビニで夕食の定番から脱したのも時間に余裕があってからこそ。






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2020年6月14日 (日)

六月の光兎は(下見と公民館登山6/6と)

 ここで生まれてここで死んでいく、光兎の麓。初めて登ったのは中学校の学校登山。雨具が必携だとは母に言えず、持ってこなかった者として前に立たされた嫌な思い出で始まる山だが、33歳、家に戻って最初に登った山でもある。この時は天気の悪い文化の日、急に思い立って昼近くに出かけてほぼ駆け足で帰ってきた。それから厳冬期に何度か行ったが登頂できず、残雪期が中心になったが、ブナはいつでも美しい。そしてヒメサユリの山でもある。何年か前、そのヒメサユリを目的に公民館の登山で登ったが、花期を外した上に天気予報も外れ、参加した少女のズックは泥んこ、蛭に喰われて足は血だらけ、全く申し訳ないことをした。昨年ガイド本の依頼でヒメサユリの写真を取りに来たのは6月6日、満開に咲いた日で、今まで経験と情報から6月第一週が早く咲く年でも遅い年でも開花したヒメサユリを見る確率が最も高いと判断した。ところが下見に登った前々日4日の開花状況は2割、たった二日でどれくらい咲いてくれるだろうかと不安はあったが、ただ天気予報だけは良かったから、前回の二の舞だけは免れるだろうと。
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美しいブナの中を通るきれいな道は魅惑的に蛇行して登る者の心を躍らす。
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咲いた数は少ないが確かに咲いていて安心する。
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下山の時の頂上からのこの景色もとても好きだ。
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登山当日、暑さも下見の時ほどでなく、朝の心地よいブナ林を行く。
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雷峰から先1時間が急登だが、本峰の全貌が見えたことで登頂意欲が高まる。
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ヒメサユリの向こうに最後の急登に向かう姿が見えるでしょうか。
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高温だったせいか2日の間にほぼ満開になって我々を迎えてくれた。泥だらけ血だらけの少女の思い出もだいぶ癒されたことだろう。
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頂上まで正真正銘あと一息!
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平田大六さんの山座同定。彼ほど人間的魅力に溢れた人を見たことがない。不世出の登山家でもある。この人が政治に関わったのが不思議だ。
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三月には先頭で下るざるを得なかったが、この景色を見るためには最後が一番良い。先憂後楽の気持ちに似ている。
あのとんがりが雷峰。右の平地が女川郷、左が関谷、そこを通る女川と荒川が合わさって朴坂山と高坪山の狭い間を抜けて海に向かうのだ。大蛇はこの狭戸を塞いで洪水を起こせば、この村々は水の底に沈むと思った。夫のことも娘のことも、そうすることで忘れられると思ったのだと私は風に語るのだ。
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2020年4月29日 (水)

日本平山 4/25

日本平山、信仰の山とは思えないがにほんだいらさんと読むらしい。この山には2008年4月27日に早出川ダムから入り、途中撤退(早出川の読み方も本当ははいでなのだろうがはやでとルビを振る本もある)。翌月18日に自然の森から入って頂上に立っている。この時は途中の大池の浮島で遊んで4時間半で着いているが、それを参考にしたのが間違いで、締まった雪の上の数日前に降った雪が足かせとなり時間が掛かり、指呼の距離まで迫りながら登頂を断念した。
駐車場には二台の車、多いのよりも、また全然無いのよりは良い。「葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を 行きし人あり」釈迢空。
途中から積雪、数日前に山は雪だったか、固まっていないので抜かる、滑る。
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整備されてはいるがアップダウンの多いこのコースは長丁場。
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先行者のトレースを辿って只管歩く。
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浮島のある大池はまだ雪の下だった。
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奥山を徘徊する登山人二名。晴天をありがとう。
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まだまだ続く雪の尾根。
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頂上は左奥。30分掛かかれば往復1時間、ここまで掛かった時間を考慮すれば日没前に戻るにはここが限界と判断。
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飯豊を見ながら両手を回して帰るのであった。「やさしかった 夢にはぐれず 瞼を閉じて 帰ろ」
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朝は閉じていたカタクリが咲いていた。
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「星屑分けて 町を離れて 忘れない 花のかずかず」は三橋美智也の「星屑の町」でした。

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2020年3月31日 (火)

残雪の葡萄鼻

 未曾有の少雪で、「残雪に咲くマンサク」は29日では遅すぎた感があった。もともとは湯蔵山を計画していたが、雪が少なければ藪漕ぎになる。朴坂山も高坪も今や一片の雪も見えないのだから。遠目で見てまだ雪の残っている牟礼山にしようかと見に行ったが、去年の12月同様、道路にバリケードがあって、まだ車を通していない。それもバリケードの数を増やしていた。私らのような者がいるから増やしたのだろうが、教育委員会の行事だからこれを無視はできない。あとは光兎山、15日は下見のつもりで登ったわけでなかったが、2週間も経てば雪もだいぶ消えて、雷峰直下のトラバースだけロープを張れば大丈夫だろう、きっとマンサクも咲いていると、光兎山に決めたところにまた雪が降った。少し遠いが五頭、二王子なら危ない所はないがと思案しながら、ぐるっと周囲の山々を見回して飯豊、朝日以外でまだ白い所があるのは葡萄鼻だけ。それで急遽26日の午前中綿野舞さんに同行願って下見に行った。午後1時半から会議あるので急ぎ足の下見。ただ天気だけは保証されていた。
 数える位しか登ったことが無い山は行った時の事を良く覚えている。最初はひとり、立烏帽子から藪を漕ぎ藪を潜って木立の中の頂上に着いた。見晴しは悪いとは聞いていたが、悪いのでなく無い。また道は無いとも聞かなかった。行ってきたと言うと「道無かったろう」と横山さんは初めて言うのだ。二度目はその横山さんの案内で立烏帽子を通らない積雪期のルート、三度目は綿野舞さんとスキー、ボードを担いで登った。雪のある時期二回とも山スキーをする高橋賢吉さんに会った。同級ではあるが山の大先輩であり、この山を冬の遊び場にしていた。その高橋さんも横山さんも故人となった。そして四度目が今回の下見である。
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マンサクも確かに咲いていた。
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後ろに朳差岳
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浮世と同様天気もままならない。朝のうちに上がるはずの雨が残ってポツポツと降る中での集合、歩き始めれば小雪さえちらつく様子、着込めば暑い脱げば寒いで登り始めて3時間、なんとか無事に積雪期しか眺望の無い山、葡萄鼻に着いた。
《どうだ!この日のために気合の坊主頭、降りかかる雪は情熱で溶かすぜ!》
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まだまだ帽子は要らないぜ!遅い奴はストックでつっこすぞ!ありゃりゃ、いつの間にやらおいらがビリだ!
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尾根の急登り、落ち葉の上の新雪はいたずらに滑る。
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ここら辺からマンサクの花。
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標高が上がり寒さが増した。坊主頭にゃへっちゃらだが、耳が冷たい帽子を被る!
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「どうしてあんなに手を振るのだろ」佐野元春を思い出すぜ!
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頂上で昼食。帽子はいいぜ、ダウンもいいぜ。なぜかおいらは背を向ける!
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下山前に集合写真。おいらはどこだどこにいる。いつの間にやら真ん中だ!
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あとはひたすら下るのみ。
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どけどけどけ!とろとろ歩くやつは追い抜くぞ!
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ふう、まあまあいい山でした。
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2020年3月17日 (火)

3/15 光兎山 

 綿野舞さんは前日になって都合が悪くなり、和幸は後発して追うという知らせ。今年の雪の少なさは前例なし。ここ十年は夏よりも残雪期に登ることの多かった光兎山だが、この少雪が上でどんな状態なのかと若干不安を持って登り始める。
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ところが雪が降り始めて、でもとてもきれいで。予報は晴れ、特に昼頃は全き晴れの予報。
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虚空蔵峰の登りで積雪が始まるが太陽は輝き始めて。
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観音峰に到着。夏山ならここで半分だが、木立に透けて見える雷までの急坂、そしてその後ろの本峰、光兎までは更に急登、雪の具合はどうか、石山さんの顔に不安無し!
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観音峰から一旦鞍部に下りて、後ろに本峰が控える雷峰に向かう。
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硬かったり柔らかかったりして不均一な雪質の急斜面
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雷峰直下の登り 。後ろは左が湯蔵山、真ん中が元光兎。
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雷峰到着。ここでようやく本峰光兎の全貌が見える。 アイゼンを履いてアタック開始。
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本峰への直登。後ろ、真ん中に尖ったのが雷峰。
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頂上直下、あと一歩。
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後発の和幸も遅れて到着。
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朝日連峰の雲が取れてすっきり見えてきた。
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雷峰まで来てほっと一息。
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あとは「星屑の町」を歌いながら帰るばかり。暗くなる前にと大急ぎで。

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2020 久しぶりの二王子

 二王子熱の高いYは度々一人で来ているが、僕はスノボーを担いで登った以来だから久しぶりの二王子だ。近辺の山に登ることになって、どこでも良いと思っている人間と、二王子が良いと即答できる人間といれば話は簡単なのだ。二王子は飯豊連峰を間近に一望できる山。頂上に着いた途端に目の前に連峰がどんと現れる。この景色が見たくて二王子に登るのだと言う。なんか二王子が可哀そうな気もする。踏み台にされているような感じがしないでもない。千国のラーメンが食べたくて千国に行く、のとは違う。日本海に沈む夕日が見たくて岩ヶ崎に行く、の主役は日本海の夕日。展望台と云うくらいだから、踏み台でいいのか。二王子の気持ちまで考えなくて良いのか。
1時間で一王寺、ここでアイゼンを付ける人が多かった。独標の積雪は240㎝。
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油こぼしの上に4人のパーティー。僕はこの景色が二王子で一番好きだ。そう言えば二王子も悪い気はしないだろう。
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油こぼしの登り。帰りはここをシリセードした。
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頂上に着く。後ろは五頭山塊、菅名、白山、粟。また柱が角田と弥彦を分けている。
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三角峰は鉾立 。飯豊に向かいて言うことなし、の図かも。バドミントンの才はないが、写真の才はあるかもと時々思う。

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山に登れる限り青春なのである。こんな青臭いことは老成した人間にはできないことだから。
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昨晩ここに幕営した人がちょうど帰るところで、そのテン場にタイミング良く入れてもらった。
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あとは両手を回して帰るのである。僕は下山する時は三橋美智也の「星屑の町」を人知れず歌うのだ。両手を回して帰ろう 揺れながら 涙の中を たったひとりで やさしかった夢にはぐれず まぶたをとじて帰ろう まだ遠い 赤いともしび
但し、まぶたを閉じることはしない。


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2020年2月 1日 (土)

五頭山の二回目

 五頭山塊の最高峰菱ヶ岳と主峰五頭の間は、夏だとずっと低灌木の中を通るので、眺望はなく徒に暑いだけで魅力はないのだけれど、冬は視界を遮っていた藪が雪の下に埋もれて一級の展望稜線になる。真冬のラッセルはひと苦労も二苦労もしないといけないが、雪が固まる残雪期になればつぼ足で快適な稜線歩きが楽しめる。まだ一月、いつもなら深い雪の中の山歩きだが、今年は異常な少雪、しかも雨も降り、この数日は晴天、放射冷却の寒い朝が続いたので、雪もしまっているのではないか。そんな推測をして今年二度目の五頭に向かった。
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前回12日より一時間早く関川を出て7時半には駐車場を出発、急坂を登る我々に朝日があたって一枚二枚と脱ぐ。
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 三ノ峰まで二時間余、そして一ノ峰に。阿賀野川と弥彦、角田山まで広がる蒲原平野、そして海と佐渡とが眼下に。
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 前一ノ峰から飯豊の白嶺を望む。ひとりだけ振り向く構図は青木繁の「海の幸」を思い出させる。
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 中央の一番奥が菱ヶ岳。そこまで尾根伝いに進むが、いつもは菱からこちらに歩いた。大体2時間から2時間半で歩いているが、登りになるのでそれ以上にかかるかも。
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前一ノ峰を下って菱への縦走路に向かう。正面の三角の山が五頭山三角点のある本峰だが、今日はその手前の分岐から右に曲がる。
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 しばらくアップダウンの尾根沿いに歩くと今までいた前一ノ峰が遠ざかる。左の白いピークがそれで、真ん中は本峰、その真ん中の尾根が縦走路となってここに繋がり、これから菱まで、そして南端の宝珠山まで続いている。
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 沢山の小ピークを登り下りしながら、振り返りつつ尾根を進む。左の白いピーク、前一ノ峰は殊更に白く判別でき、右には大日岳から杁差岳までの白い山並みと二王子岳。
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途中で昼食、130分、菱へとまた進む。奥のピークが菱。
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二時過ぎ菱ヶ岳到着。黒い雲が出てきていたので後はただ下るだけ。途中の杉鼻の冬道は雪が少ないために却って下りにくい。
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晩秋のような山道を下って駐車場に着いたのは4時半。残っていた車は我々を入れて三台。今日晴天の五頭山塊山行が夢のように過ぎた証拠である。

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2020年1月20日 (月)

初登りは五頭山

 例年にないカメムシの大発生は巷間では大雪の前触れだという話だったが、目は逆に出て未曽有の少雪、例年の一月半ばなら毎朝4時半か遅くても5時には除雪を始めていたのに、今家の周りにも屋根にも1ミリの雪もない。ただ天気はやはり陰鬱な空模様、雪が降らないだけで、雨が続いて5日の初登りは12日に延期になり、参加できたのは綿野舞さんと私だけ。村杉の駐車場にも雪はなく、三連休の中日、午前中の晴れが保証されていたので、続々と車が集まっていた。少雪とはいえ、さすがに山だから、五合目辺りから雪道となったが、その頃我々を颯爽と追い越していった女性がいた。一休みした時、さっきの女性はかなりのベテランだと綿野舞さんに私は言った。五頭といえども冬の山に単独で登ってきたからそう言うのではなく、ストックを握った手にしていた手袋が「防寒テムレス」だったからだ。この手袋、鮮やかな青色で人目を引くが、本来は山用の物でなく、ショウワグローブという会社が冬の作業用に作ったものだ。だから廉価で且つどこにでも売っている。厚手のゴム手袋だから完全防水、内側起毛で防寒性があり、蒸れもない。これが以前から山屋の間で地道に普及している、そうなのだ。そんなことを綿野舞さんに登りの途中で吹聴して、吹聴したことも忘れて三角点本峰に到着した時に目にしたのは、雪にささった三組のストックに被さった三組の「防寒テムレス」だった。その持ち主は前一ノ峰で飯豊を眺めている時に後ろを賑やかに通っていった三人組の女性達、その中の一人はしゃがみこんだままアイゼンを付けるのに四苦八苦している風で、初心者のようだ。私はなにか興覚めの思いで、さっきの自分のしたり顔を恥ずかしく思った。
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晩秋の山のように登り始めても雪はない。
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雪道にはなってもいつもの景色ではない。
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三ノ峰に着く。
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一ノ峰
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前一ノ峰 奥の白嶺は飯豊連峰
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前一ノ峰から三角点のある本峰へ向かう。
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その本峰で見たのがこの光景。三組のストックに三組のテムレス。真ん中の女性は終始アイゼン装着に四苦八苦していた。話の内容からリーダーの女性さえ山屋ではないと推察できた。
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本峰に行く前に寄った二ノ峰に戻って昼食。今年一年、会の山行に幸多きことを祈った。そして個人的には知ったかぶりをしないことと。

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2020年1月 3日 (金)

牟礼山 12/22

 同行3人、2019の登り納め。今年もたくさんの山に登って自身も仲間も怪我無く済んだ。登山は私にとっても仲間にとっても大切な時間だ。他二人は小動物が皮をはぎ取った小枝に興味津々のようであったが、私はそういう他愛ない会話に耳を傾けながらも、ただ感謝の気持ちで登ったのであった。
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よく整備された道を行く。
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そんな道に点々と落ちていたのがこの皮を剥かれた小枝。二人は兎の仕業と結論づけていた。
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約100分で頂上。右から、朳差、枯松、大境、葡萄鼻。
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眼下の平地は関川村の七ヶ谷地域、その向こうに光兎、頭巾、そして朝日連峰。
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テントから。


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2019年12月30日 (月)

御岳山、高尾山

 大学の時にひとり高尾山に行ったことがあることは確かだが、ほとんど思い出せない。その時の状況だけは覚えているが、思い出したいことではないので、今回高尾山に登っても、全く蘇る記憶がないのは幸いであった。
 御岳山は東京時代の山行の随伴者Sさんが冬山の訓練に良く登っていたという記憶がある。麓から歩けば楽ではない山だろう。
 その御岳山、青梅で高速を降りてから祭りで賑わう市街を抜ける頃、いきなり渋滞が始まったので、これは御岳山詣の混みかと思ったが、奥多摩に向かう車であった。その道を反れて御岳山に曲がる車がほとんどなかったからだが、登山口のケーブルカー乗場の駐車場には長い、坂道なので先の見えない渋滞で、青梅も東京だなと思った。山に特に感慨はないが、遅い昼食をとろうと入った山頂駅食堂が満員で入れず、隣の、10席位しかないお土産売場兼食堂に仕方なく入ったが、全員が同一に頼んだとろろそばが意想外に美味しかった。味噌ベラを人数分以上に貰ったりもした。大変幸先の良いことであった。
 いずれ詳しく書こうと思っているが、この日の夜、宴会の後で具合が悪くなった。吐き気はもよおさないめまいで、冷や汗が出る。泊まっていたホテルと別な場所であったので、回復のために小一時間ばかりトイレに入った。同行者に迷惑を掛けたが、特にその間ずっとトイレの外で気遣っていた池田会長には陳謝と感謝の気持ちでいっぱいである。原因を考え、今後回避したい。
 平日でも高尾山は混んでいた。体力的に心配していたお二人は私よりも活発に歩き、喋った。
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全員とろろそば。待つ間、ここで山バッチを人数分買うと、味噌ベラを何本かくれた。そば代を払うとまたくれた。一人二本くらい充たるくらい貰った。みなさん、ちゃんと使ってるかな。
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参道にて。
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週末だとこの駅前広場が人で埋め尽くされている。 月曜で良かった。

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残念ながら富士山は見えなかったが、天気に恵まれて、楽しい二日間だった。

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