誤謬

2016年1月 2日 (土)

2015バッジ総論

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 一昨年立山に行った際、麓の駅の土産屋で今まで見たことのない類のバッジを見つけた。それが上の左の二つ。モチーフと色合とデザインが秀逸。チングルマの花の散った後の実は独特の形状なので誰も知っているが、これをバッジにデザインしたのは初めて見た。それが成功なレリーフになっている↓これらは「yamasanka」という名前であった。「山賛歌」だろう。
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 去年乗鞍岳に行った時、バスを待つ間に寄った食堂兼土産屋で見つけたのが、同シリーズの山バッジ(一番最初の写真の右側6つ)。写実とデフォルメに加えて遊び心がある。下の穂高は涸沢カールを中心に前穂、奥穂、涸沢、北穂が山容、位置関係が良く描かれているし、涸沢のテントまで書き込むという遊び心がある。こんなバッジは今までなかったろう。
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乗鞍と写実とデフォルメ、バスもいい。
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天狗池に映る槍!
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梓川と奥穂高岳
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その他、二点。蝶ケ岳の蝶のバッジは前回紹介したが、なだらかでピークもはっきりしない、特徴のない山容を形にするのをきっぱりと諦め、蝶に徹したアイデアは改めて感心した。同じく蝶ケ岳ヒュッテで買ったのはシンメトリーでない全体形も良いが、何といってもミヤマキンポウゲのリアルな描写。なんの花かと首を傾げることが多いバッジに描かれた花の中で、これは巧い。
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上の方にある白い部分は蝶ケ岳の名の由来、蝶の雪形。
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2012年10月 6日 (土)

関係と理解と

  誤解されていると思うことはあっても、否定したり釈明したりはしなかった。そういう見方もあると思うだけ。それに、その程度の関係でしかないと。

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2012年9月15日 (土)

明日は障子ヶ岳

 行ったことのない山に行ってみたくて、行ってみても、それが大変辛い山行でも、行ってきたということだけで、大した意味はない。それより、うんうん唸って、下手な小説を一行書き進める方が、確かに意味がある。落着する。意味とはなにか、落着とはなにか、簡単に言えば、ちゃんと考えるということ。でも、本当のところ、分からない。そう思わないと落着しないからそう思うのかもしれない。

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2012年4月10日 (火)

不死身じじい

 「不死身じじい」の話は以前書いたことがある。Aが同級生の家に遊びに行った時、そこのじいさんを同級生、つまり孫がぞんざいに扱うと「よそんちでもこんな口のきき方するかね」みたいな愚痴をじいさんがこぼしたそうだ。するとすかさず「よそんちはみんな死んでら。てめえが不死身なんだよ」と言い返す話。群馬というところはおっとろしいと僕は思ったものだった。(この孫もいずれ「不死身じじい」と呼ばれるは必定)。この話を思い出したのは、「おらごのしょうはおっかね。んめも父ちゃんもおればはよ死ねばいいみてに言うで」と母の台詞を聞いたからだ。口ではどう言おうが、父の献身的介護には頭が下がるし、僕もできることはしているから、そう言って否定してほしいのか、あるいは病人の僻みでそう思うのかもしれないが、「なに言うでれば、もう六年も面倒してきたでやんに」と言い返すのだ。確かに母の台詞は時期を逸していると思うのである。それにしても「不死身じじい」のことは胸が痛む。可愛がった孫にそんな言葉を浴びせられて、それからどうして生きていけたのだろうと。

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2012年3月 2日 (金)

比喩

理解しやすいように用いる比喩とか諺とかが、とても特殊な状況であるのは不思議。特殊ではあっても容易にその状況が想像できる。「泥棒を見て縄をなう」。多分実際にこういうことをした人は史上いない。「死んだ子の年を数えるよう」。そういう身の上でない人でも容易に理解、想像できるが。

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2011年12月14日 (水)

困る

 昨日から喉が痛い。嗽もし手洗いも励行してきたが。どこかしら痛いのは常だが、喉が痛いのはそれだけで終わらない。元旦は半月後で、今練習できなくなるのは、困る。無理をして走って、悪くなるのも困る。
 目標のない人は幸いである。焦りもないであろうから。慮りのない人は幸いである。柵もないであろうから。
 全知全能の神であっても尊敬できるわけではない。尊敬できる人であっても全肯定できるわけでない。

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2011年3月14日 (月)

タオル

 この頃頻りに僕が感心するのは、タオルというやつの用途の広さである。汗を拭くためにランニングの時の必携品だが、頭に巻いてバンダナ代わりにもできる。夏は同じ使用方法で日除けになる。濡れた手を拭く、顔や首の汗を拭くから始まって、入浴の際は体を洗う、拭く。この拭くという用途は人体だけでなく、物にも適用される。車でも食器でも拭く物を選ばない。捻挫の時は足首を固定できるし止血にも使える。ぐるぐる回して急を伝えることもできる。これがもしハンカチだと別れを惜しむ行為と誤解され、手を振り返されるだけだろう。タオルは万能、すごいぞタオル、財布にはならないが、ならなくていい。

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2010年12月28日 (火)

完璧な歯

 テレビに中の人が、大きな口を開けた時に見えるその歯に、一本の銀歯もない、銀の詰物さえない、つまり全く治療痕のない白い歯だけであるのを見ると「ああ、良い家庭の、良い育ちをした人なのだな」と僕は決まって思う。上流階級の育ちだと思うのである。けれども、Yの三人の子供の内長女以外二人には全く虫歯が無いと言う。「うちには歯医者に行くお金は無いんだからね」と言って聞かせて、小さい時から徹底して歯磨きをしてやったしさせたからだと言う。成人した現在も虫歯は一本もないそうで、こういう真逆のケースもあるのかと、自分の見識の狭さというか、世間は広さというか、感心した次第。

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2010年12月16日 (木)

リハビリの場所

 車から沢山の荷物を一度に下ろそうとして、その中に肩から掛けられるストラップが付いた物があれば、その分空いた手で他の荷物が持てる。ショルダーバッグは良いものだと思う。人間の体の特性を活かした発明だと思う。おそらく誰かが発明したというものでなく、自然発生的に作られたものだろうが、こういう物、例えば傘とか、しゃもじとか、長靴とか、単純な作りだけれど、それでないとうまくできないもの、そういうものには感心することが多い。まあ、専門バカ、みたいなところもあって、それしか使えない、それ以外に使い道が無い、ということになるが、細分化という進化だろうか。爪切なんかも、爪を切るならこれに限るというよりこれしかないわけで、鋏なんかではうまくいかない。そして、この爪切、他に使いようがなく、爪を切る時以外は出番がない。確かに専門バカだが、大したやつだ。
 爪切で、嫌な事をまた思い出した。中学の時の国語の先生で卓球部の顧問だったK先生はユーモアもあるが怖いところもあって、生徒からは怖がられていたが、ある日の授業中に爪の検査をしたことがあった。机の間を歩きながら、生徒に両手を出させて点検を始めた。そして伸び過ぎているのとか爪垢がたまっているのとかを注意して歩いた。「あちゃあーー」というのが彼の口癖で、決まり文句は「脈がないぞ」であった。「脈ねえぞ」と僕は言われたことはなかったが、この時は垢がたまっていて叱られ、検査が終わった後、鉛筆か定規の先でその垢を取っていてまた叱られた。つまりWショックであった。この頃は毎日風呂に入ったろうか。髪なんかも何日に一度洗ったのか。そして、家に爪切はあったのか。
 中学以降会うことのなかった先生に再び会ったのは、僕が45歳の頃、一週間に十日行っていたパチンコ屋であった。先生は明らかに脳に異状を来した病後の様子で、ただ極くゆっくりと、のっそりという感じで店内を歩いていた。僕に気付くようでなく、僕も声を掛けたりはしなかったが、パチンコをしている様子ではなく、ただのっそりと歩きまわり、疲れると店の隅の椅子に掛けてコーヒーなんかを飲んでいた。もしかするとリハビリの場所にしていたのかもしれない。

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2010年9月30日 (木)

早い白状

 不定期だが折々目まいに悩まされる。昨日の朝も目まいがして、昼のバトミントンは普通にできたのに、夕方ど~むの前で車を降りるとふらつく。頭痛なら走って治るが、一時間走る自信はなく、途中でなにかあっても恥ずかしいので止めて帰った。症状に波があるようで、夜になってまたひどくなり、早めに床に就いて本を読んでいると文字通りぐるぐる視界が回り出した。武田泰淳に「めまいのする散歩」というのがあって、目まいがする度、この作品を思い出す。自分の日常を綴ったような随筆的小説か、あるいは随筆であったかもしれない。そういう内容ではなかったと思うが、めまいは存在自体がくらくらして危ういような感覚になる。形而上的にも形而下的にも。つまり、考えることを停止せざるを得なくなる。武田泰淳は知る人ぞ知る「ひかりごけ」の作家。戦前の日本であった難破船の人肉喰い事件に取材した戯曲。「我慢、我慢、みんな我慢してらんだ」と母に言う時、私は船長になっている。
 飢餓もそうだが、肉体的苦痛に人間は弱い。母が訴えることは痛みと痒み。母の身に自分を置くと、果たして生きていられるかと思わないこともない。だから私はスパイには向いていないだろう。拷問の最初の方で白状するに決まっている。石の上に正座させられ、膝の上に石をのせていく拷問がある。私なら正座の段階でギブアップだ。

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