聞いた話
曾祖父はいつ頃死んだのかと父に聞いてみた。
父に装飾する理由はないので「じさまの父親のことげ」と話し始めた内容をそのまま要約する。大正五年曾祖父は開拓の目的でここに来た。曾祖父とともに来たのは妻と子四人、その子のひとり、祖父は当時16歳だった。自分で百姓をするというのでなく、人を使って開墾して、地主としての生活を目論んできたらしい。最初は十人位の人を使っていた。けれども開墾が思うように進捗せず資金不足となってきた翌翌年の大正七年、大手のK会社が同じように開墾を目的に乗り込んできて、曾祖父はその傘下に入ったのだという。その条件はニ丁分の田圃と間口二間の家屋敷。けれど二町分の約束の方は反古にされ、その土地を得たのは戦後の農地解放のお蔭である。昭和七年生まれの父はその曽祖父の顔を見ていない。だから大正時代に死んだのではないかと言う。その死因は話さなかった。僕も聞かなかったが、話したくなくて話さないというのではなかろう。曽祖父が死んで借金があることが分かった。山から石灰を採取する会社もしていて、その借金であったらしい。祖父は差押えが近付くと、祖母が結婚する時持ってきた家具などを差押えから免れるため祖母の実家に運んだそうだ。祖母の実家は蛇喰という、ここから二、三㌔の女川の対岸にある。借金を返すのに祖父は苦労したと付け加えたが、どんな風に苦労したかまでは言わなかった。知らないのかいう必要がないと思ったかどちらかだろう。
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