体調や如何

2016年3月11日 (金)

近況

フォーム。マラソン、そして元旦10㌔と自己新は出したが、フォームの改良に取り組んでいる。一番大きい変更は、着地を踵から足の前の方にすること。踵から入る着地はスピードにブレーキを掛けることになるとどの本にも書いてある。その改造のためか、左ふくらはぎが痛い。今まで感じたことのない痛みなので、前着に変えたことが原因かと思っている。最初は肉離れかと思ったが、肉離れなら走れないと言う。練習にたいして支障はないから肉離れではない。変革には痛みを伴うものと言い聞かせているが、今までより走りが重いような気もするし、スピードが増したとも思えない。このまま続けるか、元に戻すか。ただ今までと同じことをしていれば、3時間30分は切れないだろう。ハーフは1時間30分、10㌔は42分は切れないだろう。
 体重。まだランニングもしてなかった十数年前、泊まった旅館の風呂場の体重計が64㌔を表示したのに驚いたことがあった。マラソンを始めてから通常62㌔前後、夏場になると更に1㌔減ってくる。しかし、この頃、その驚いた体重がコンスタントに続いている。先週の旅行の翌朝はついに65㌔を記録してびっくりした。練習は例年以上なのに不思議だ。代謝が悪くなってきているのか、それとも帰ってきてから食欲のまま食べ過ぎなのか。笹川には62㌔で走りたいと思っているから、調整する方向で。

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2013年11月14日 (木)

山沿いは雪

 記録が機械、つまりチップになったからか、新発田の記録一覧が早くも公表されていた。選手権選手は43名中、サブ3が22名だから「さすが」という感じだ。一般は139名が完走している。うち3時間30分以内が36名、4時間以内が98名、参加者の7割が4時間を切るというのは他の大会ではないことだろう。そういう大会に出たこと、そして完走できたことに改めて「良かった」と思っている。そして、あの降り続く雨、そして風の中、走り続けた参加選手全員に敬服している。
 天気はその後ますます悪くなって、月曜日の午後には雪になった。仕事を終えてから母にフリース3着を届けた。ユニクロにもL以上は無かったので男性用のL。夜、夢で覚めて、もう眠れそうもないと思ったので、タイヤの交換をした。午前3時半から4時半まで。夏タイヤはだいぶ減っているので、少しの雪でも不安だったのもある。
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2013年10月20日 (日)

腰痛

 先週から腰が痛い。腰痛は時々やってきて、私を癒し庵に誘う。今朝は更にひどくなっていて、午後雨の中癒し庵に向かった。その年の集大成、記録を大いに意識する大会、新発田マラソンはもう三週間後だが、練習不足である。パルパークに寄ってせめて20キロは走ろうと思っていたが、急に治るわけもなく、母の居る施設に父に頼まれた薬を届けて帰ってきた。午後三時、テーブルを囲んだ五六人の中に無表情な母の顔があった。父のために刺身を買ってきたが、食べたくないと云う。そして六時には犬を連れて部屋に入った。肩の痛みがひどくなったとも言って。

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2011年1月 4日 (火)

戻らないからに

 二日の夜から例の目まいがやってきた。横になっても眼前が左右に揺れて視点が定まらない。吐き気がする。一晩で治ることもあったが、折々目覚めても同じ症状なので、何度目かに思い切って薬を探しに起き上がる。10月に医者から出してもらった薬を探してベッドに戻る。六時過ぎ、朝食は作れないと伝えに階下へ下りる。昼前にまたトイレに行ったついでに台所に寄り、箱根駅伝を見ようとテレビをつけると早稲田は首位。座っていてもふらふらするのでソファーに寝て、菓子を食べながら中継を聞くも、苦しくなってベットに戻る。空腹感があり、みかん一袋と食べかけた菓子袋を持ってベットに入る。喉が渇いていたのでみかんは美味しい。バカウケ(というお菓子)もおいしい。五種の味の詰め合わせ、最初チーズ味を四袋八枚全部食べ、次に醤油、次にゴマとおいしい順に食べ、カレーとのりは残した。午後Yが来てくれて食べかけて残したカレー味をあげる。Yの持ってきてくれたプリンを二つ食べ、夜中にもうひとつ食べる。夜になっても目まいは治らず、本も読めないので、映画なら見れるかと、中古で買って一度も見ていない「アルジャーノに花束を(原作チャーリー)」を見始めた。しかし、やはりくらくらして気持ちが悪くなる。翌朝は六時過ぎに階下に行き、朝食作りを始めたが、長く立ってはいられず椅子に腰かけながら魚を焼き目玉焼きを作る。その途中で出勤を諦め、同僚にメールを送る。
 体調を崩して思うことは健康のありがたさ。健康であることのために多少の事は我慢しなければならない。ストイックにも努めねばならない。特にこの目まい、吐き気を伴うのでなにもできない。苦しむ他ない。何もできないのは苦しい。情けない。
 30分毎、1時間半毎に目覚めた。その度、見ていた夢が過ぎ去った過去を思い出させた。走馬燈のように、とはこのことだと思った。
 結局思い出は教える。今を大事にしなさい。今の時間を、今会う人を、今していることを、今も抱いてる夢を。どんなに懐かしんでも、たとえ悔いても、戻らないからに。

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2010年12月29日 (水)

万全

 生まれて初めての肩こりである。新発田マラソンの終わった二ヶ月前位から、夜中に目覚まし時計に手を伸ばすと痛かったのだが、昼は忘れる程度。どうも五十肩というやつだと思っていた。ところがこの数日は首から腕まで四六時中痛くなってきた。そういう時に診療所から電話があり、ヘモグロビンが更に少ない数値だと知らせてくれた。痛風を発症してから八年近く、尿酸値を下げる薬を飲んでいる。この夏の人間ドッグの結果を診療所の先生に見てもらってから隔月程度で血液検査をすることになった。ヘモグロビンの数値がここ数年標準値以下で、血液サラサラ検査をすると「サラサラ過ぎる」結果であった。なにか不調はないかと電話をくれた看護師に訊かれ、特にないと言ったけれど、肩こりと関係があるのではネットで調べると、ヘモグロビンが減った場合の症状のひとつに肩こりと確かにある。早速コンビニでサプリを買ってきたが、すぐにヘモが増えるわけでもなさそうだ。「整形」に行った方がいいとYが言うので今日注射を打ってもらい(四か所アバウトに)飲み薬と貼り薬を出してもらい、電気も当ててきた。医者の勧めるままにフルコースで、なんだか少し良くなったような気もする。 
 大事な人の身の上は重大に考えるものだ。この夏の目まいが発端で24時間心臓検査までしたのもYが心配して言ってくれたからだ。自分一人だったら新発田まで行かないし、行ったとしても二軒目の内科までは行かなかったろう。
 先週末から喉が痛く、風邪をひいたのかと昨日までは薬を飲んでいた。元旦マラソンは三日後に迫り、今回は3㌔も出るつもりなので、いつもより緊張感もあるが、万全で迎えられる本番はないものだとつくづく思う。死というのも同じだろう。

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2010年11月28日 (日)

懐かしく思い出すために

 登山というより、ランニングのためにこの数年の体重は年々減ってきている。風呂に入る前に体重を量り、それを壁に貼った一年一枚のカレンダーに書き込むようになった2007年の平均体重は64.15k、村上元旦と笹川のマラソンの大会に出始めた2008年は63.35k、年5回の大会に出た去年2009年は62.25kと大体1㌔ずつ減ってきている。今年は61k台が5月から続いているので61k台の平均になりそうだ。これは代謝というよりもっと根本の食生活によるのだが、高校の時は58k位だったと思う。空腹に慣れて、胃が小さくなっていたんだろうと思う。朝夕に食欲をそそるようなおかずが出ることはなかったし、昼もパンとかかけそば。ただ、部活もしていなかったのに、腹筋が割れていたのはなぜだろう。今その高校の時のように50キロ代を目指すという気持ちは全くないのだが、慣れというのは妙なもので、61㌔台の表示に慣れてしまうと62という数字に「おや」と思うようになった。そして昨日何を食べたかと振り返ったりする。しかし、いずれこういうことも懐かしく思い出される時が来ることを私は知っている。今の体力と健康を懐かしく思う日。

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2010年10月28日 (木)

10月25日の顛末

 どーむを2時間走って、後半一時間はへたばった。まるでフルマラソンの30㌔を過ぎた時のようにへろへろになった。今のままだと昨年よりも良いということはないと弱気になって帰ろうとすると、足がつって車を運転できそうもないので「ツムラ68」をアクエリアスで飲む。二日ぶり戻った母の顔を覗き、テーブルにあった蒸かしイモを母の口に少しと自分も少し。魚肉ソーセージをフライパンで炒めていると急に具合が悪くなり、慌てて火を消してソファーに横になった。強い吐き気に襲われたのだが、稀にあることで一晩眠れば治るのだ。しばらく横になっていると寒気もしてきて、もう寝るしかないなと思いふらふら立ちあがって二階へ上がりストーブを付けてまた台所に戻る。せめて明日の朝のおかず、冷凍の魚を出しておこうと思ったのだが、それさえもできずまたソファーに倒れ込んだ。携帯が鳴って、遅出の仕事が終わったYが駆けつけてくれた。寒気がするのに汗が出てくる。吐こうとしても吐けない。そして腹の具合も悪くなっていて、すぐにでも救急車を呼ぼうとするのを、とにかく差し迫った糞意をなんとかしないとと這いつくばるようにしてトイレに入る。その後、汗で濡れた下着の類をすべて替えてもらい布団に入ると徐々に回復した。
 この不調、ランニングとの因果関係はない。運動の後でこうなったのは初めてだから。ツムラとも芋とも思えない。不意に来て、何かを教えていく。

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2010年10月18日 (月)

声を枯らす

 風邪薬のせいなのか寝不足のためなのか登山中、歩きながらも眠気を覚えた。二、三日前から喉が痛く、この日になって声が枯れ始めた。大声を上げても声が通らない。日曜はまた長い距離を走るつもりでいたが、一日家にいる。熱はないが無理もできない。する気力がないほど体のだるさはある。この二年、冬の電気毛布を止めてからは風邪らしい風邪もひかなかったのに、フルマラソンを三週間後に控えたこの時期に練習できないのは困ったが、仕方ない。風邪のせいか薬のせいか、一日良く眠る。昼前にも眠り、昼過ぎにも眠り、夜も早くから眠気を覚えた。沢山の夢を見、すべて忘れるほど良く眠ったが、喉の痛みは変わらないで今朝を迎えた。

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2010年10月 7日 (木)

脈拍一流

 目まいは先週末から治まったが、この頃折々あるので、心配したYが新発田のS耳鼻科に診てもらった方が良いと言いだした。今まで何度か頭の方は調べてもらったが、異状はなく、脳でないなら三半規管系等ではないかと言うのだ。歯医者の予約は以前から入っていた日なので丸一日休んで診てもらうことにした。人気の医者で混んではいたが、人気だけのことはあるようで、やはりある種の検査で異状が見つかり、薬を飲むことになったが、医者が気にしたのは脈拍数の少なさである。一分間の脈拍数が異状に少ないというのだ。スポーツ心臓にしても39回は少な過ぎるので、近くの別の医者に診てもらうように言われ、まだ午前の受付時間まで間に合いそうだったので急いで行くと、そこまた人気の医者なのか、待合室に座れないくらい混んでいた。ここでまた計ると平均43、正常値は50以上だということで、目まいと脈拍数の因果関係を調べるために、今度24時間脈拍を調べる検査をすることになった。
 なんていうか、正直言うと脈拍数の少ないのは私自身も自覚していて、人には言わなかったが密かな自慢だったので、これが目まいの原因だと言われると、どうも勉強し過ぎだと怒られたような感じです。登山を始め、そしてランニングを始めてから脈拍数が減ってきたのは成果と考えていましたから。激しい運動に心臓が適応して一度に送り出す血液の量が増え、その結果として平静な時の脈拍数が減ってくる。高橋尚子も確か43回だと聞いたことがあるので、脈拍数だけは一流になったと一人喜んでいたのですが、どうも。しかしまあ、今後どういう結果となり処方となるか分からないが、やはり脈拍数だけは一流であった事実は私の友人諸君の胸には刻んでほしいと願うわけです。

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