今日の詩を今日詠う

2019年12月23日 (月)

喉の痛み、その後

 なかなか治らない喉の痛みで、診療所に行く気になったが、結局ひと月以上経った今も治っていない。元旦マラソンもあるので先月下旬には練習を再開したが、二週間のブランクは大きく、11月半ばの頃の調子にさえ戻せない。
 今月初めにバドミントンの大会があった。公式戦3回目の出場。この春高校に入ってからバドミントンを始めたような男子高校生ダブルスと二戦して二勝、予選を通過しトーナメントの一回戦では女子高校生ダブルスを破ったが、準決勝で敗れて三位。それでも初めての表彰状を貰った。
 この試合を応援に来てくれたYにスマホでビデオを撮ってもらったが、とにかく姿勢が悪くて見ていられない。前屈みで下を向いて打つ。もっと胸を開いて、頭を上げ、打つ右手の反対の左手を大きく動かしながら動かないといけない。そういう反省をして、姿勢を意識し始めると、姿勢が悪い、のは私の生き方そのもののような気もして、憂鬱になったりもした。

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2019年11月25日 (月)

喉が痛い風邪

  御岳山、高尾山と東京の山行に行く前に家のパソコンのネットがつながらなくなり、帰ってきてすぐ風邪をひいた。喉の痛みが激しい風邪で夜は何度もその痛みのために目を覚まして睡眠不足が続いている。だからランニングもできない。4分半で7キロまでもってきたが、元の木阿弥になるだろう。熱は平熱、咳も出ないからインフルエンザではなさそうだか、黄色い鼻水が止まらない。頭も多少ぼうとしているのか、昨日は父の尿を捨てる際、その口を良く締めなかったために、気づいた時はカーペットがさんざんに濡れていた。最初父がペットボトルの水でもこぼしたのかと思ったが、原因は自分であった。父とベットとを動かさないとカーペットは外せないテッシュペーパーを大量に使って吸い上げたが、完全というわけにはいかない。ネットは昨日業者に来てもらって解決した。水原から1時間以上も掛けて来てもらって、いろいろ見てもらって2時間近く、9,000円という法外に安い料金で恐縮した。ブログの話もして、見本に綿野舞さんのホームページを見てもらったら、これは市販のソフトに頼らず自分の作ったもので、相当パソコンの知識がある人だと言っていた。

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2019年9月23日 (月)

僅かな安逸

  泊りでない限り父の夕食を出すために仕事先から真っ先に帰らなければならなくなった話は以前した。夜クライミングやバドミントンがあるときは作る時間がないのでコンビニで弁当を買って帰る。先ず最初の関門は一旦家に戻ると、ランニングのためにまた出かけるのが億劫になること。もう一つは自分も夕食をついつい食べてしまうこと。満腹になると出かけるのも走るのも更に億劫になる。こんな感じで、七月八月はほとんど走らず、九月になってなんとか走り始めたが、サボった期間が長いのでなかなか本調子にならなかった。それでも4日から始めて昨日まで走らなかった日は3日間、くたびれて10キロも走れない日もあるけれども、我慢して走れば段々と、そして突然調子は上がってくることを経験で知っているので続けている。8時頃だとスポ少の活動はしていても走っている人はあまりいない。9時を回ると私一人になって、寝る前の薬を飲ませるために着替えもせず家に帰る、そんな生活が続いている。

 

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2019年6月24日 (月)

夏至の前後

 父に蛭にくわれた話をしたら、蛭の夢を見たと言う。病院に来た私に付いてきた蛭が落ちて、ベットに横たわる父に付くという夢で、とても気持ち悪かったそうだ。入院当初、父は高熱の中で、Kさんの葬式でたらふく酒を飲む夢を見たと喜んでいた。「いやあ飲んだ飲んだ!」と興奮気味に私に話す。怪我の功名というべきか。新発田通いも慣れてきて、帰途に中条の「たわら屋」という弁当屋兼食堂に寄るのも常になった。混むこともなく、知る人に会うこともないこの店で、主に奇を衒わないカレーを食す。
 家の中、作業所の中を片付けることは少しずつ続けている。多分健康なうちにすべきことの一。その反面、家の周りの草刈りとランニングは怠っている。まず草刈り機を直そう。そして日が長いうちに週三回は堤防を走ろう。ようやく来た夏至なのだから。

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2018年6月24日 (日)

いずれも恙なく

 4月から父は月二回のショートスティと、週三回のディサービス。自力で排尿できないため常にフォーレというものを尿道に付けている。溜まった尿をバケツに入れるのは彼の仕事で、バケツに溜まった尿を捨てるのが私の役目になっている。手術後、食欲が増したのが吉報である。フォーレを付けながらの生活は不便ではあろうが、歩行器を押してゆっくりと歩き、シニアカーにも乗って圃場整備の様子を見に行くのも日課のようだ。母は相変わらず施設で暮らしている。寝たきりを元気と言えば語弊があるから、相変わらずだとしか言いようがない。先週久しぶりに家に戻してもらって、相変わらずの食欲。食べ過ぎたのかおむつからはみ出す大量の便で、シーツまで取り換えたが、いつものこと。ソーメンがうまかったと喜んでいた。去年の余りの揖保乃糸。つゆに缶詰を入れるのは山行流である。いずれも恙なく、と言えばこれもまた語弊はあるが、そう言えるうちはそう言うことにしておきたい。

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2018年4月 9日 (月)

三月十二日までの逆算②退職

 4月1日にひとり資料館にいて、退職したことをなんとなく感じた。一昨日金曜まで補助金の仕事に忙殺され、昨日土曜日31日になるまで机周りや書類の片づけもできなかった。毎年、年度末ぎりぎりに持ってくる領収書や写真をまとめて整理しての書類作り、その最中に退職という実感は湧かなかった。資料館⇒文化財⇒文化財補助金というつながりだが、学芸員という職種とは無関係な仕事が一番心的圧力を受けた。どうにでも生きれると思いながらそうはできなかった。自分に不向きな仕事をするのは与えられた人生を裏切っていると思いながら投げ出すことができなかった。誰でも事情があり、それとは無関係に時間は過ぎる。家には花束が二つ、花瓶に挿してある。目の前のテーブルにも一束。これは綿野舞さんから仕事始めの今日届いたもの。45歳から始めた山登り、そしてマラソンから得たものは少なくないが、それが彼らの分まで生きることではない。穏やかに激しく、できる限り遠くまで歩くこと、走ることは山やマラソンから学んだ。

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2017年12月 6日 (水)

走れる時は走り

 走るのと同様、母を訪うのが億劫になる時があるが、小説を書かなくなった今、時間を惜しむ理由はないから、走れる時は走り訪える時は訪う。いずれ走りたくとも走れない時が来て訪いたくとも訪えない時が来ることは知っているが、確定された未来のために走り訪うのでなくて、せめて今日の健やかな眠りのため。

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2017年9月19日 (火)

台風

二度母の顔を見ると一週間が終わる。一週間は速い。
九月の連休は毎年山だったが、今年は台風で行く場所がなかった。
走ることと片付けることと。
風雨の中でもH家の早起き犬は、敢えて外で散歩を待っていた。大風の音に反応して多分一晩中吠えていた。犬は情報量が少ない、その結果でもある。
土曜日は暗くなってからドームに向かった。
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2017年1月23日 (月)

ボードは修行他

 土曜日は午後からスノーシューの行事、日曜日は天気が悪かったが、スキー場に行った。娯楽や体力づくりのためなら、そんな日に行くこともないが、お察しの通り私のボードは修行である。だから条件が悪ければ悪いほど意味がある。山もランも、そしてバドも修行であって、終局人生は修行だと思わなければ、意味づけできない、そんな境遇、場所にいるとも言える。修行の目的は「生きてる場所を見下すように生きること」。誤解は恐れない。分かる人に分かれば良い。
 少し汗をかいたぐらいでは洗い甲斐もない。金曜、昼バトで汗をかいて、夜のバト講習会で汗をかいて、翌日の準備が12時を回ったので、朝は風呂に入らず行ったボードで汗をかいて、午後のスノーシューで汗をかいて、家に戻って壁打ちをしてから風呂に入った。洗い甲斐があるというものだ。でも究極のエコロジスタは昔見た池袋駅構内の浮浪者と呼ばれる人たちだ。加えて彼等は名誉欲もない。超越しているのか欠落しているのか、彼等のような人間が多かったら人間の今の繁栄はなかったろうが、地球という星としてはその方が良かったのだろう。

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2016年10月 2日 (日)

修行だと思えば

 午後、不足の物を買って新発田病院に行く。それから坂町の総体で走って、七時に高坪に行く。登山と同様、修行だと思えば大変でもない。あるいは、大変でなければ修行にならない。体力はつかないが、忍耐力はつく。

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